[渡辺善太著作選13]人間―この失われたもの
説教集・講演 2016年7月26日
ま、私にだまされたと思って。 「商売だからねェ、自分でもわからないようなことを、得意になってしゃべるものなんだ、牧師ってェのは。」 落とすところは …
詳細へ[渡辺善太著作選11]聖書的説教とは? -ヨベル新書-
本物の聖書的説教とは、「個人の救じょう」と世界を支配している「悪霊の打倒」という二極への挑戦として確認されるべきであり、その両者は切り離せない-聖書を「正典」と …
詳細へ[渡辺善太著作選12]わかって、わからないキリスト教
説教集・講演 2014年2月20日
「俺が歌うと、どんな讃美歌だってひとりで四部合唱になっちまう。絵を描いたら馬が羊に、牛がラクダになっちゃう。いったい何の故に俺のような奴が今まで…」 銀座教会の …
詳細へ[渡辺善太著作選2]現実教会の福音的認識
罪過と躓きに充ちた教会の歴史。「神がなぜかくのごとき醜悪なる教会を存続せしめたもうか」との問いから書き起こし、教会と祖国観までを縦横無尽に論じた第4弾。 「誰が …
詳細へ[渡辺善太著作選4]聖書論 聖書正典論2/Ⅰ
ルターも前言撤回した! 約1500年間に数百人の記者によって書かれ、多くは互いに対立関係にすらある古代ユダヤ文献に「キリスト証言」としての渾一性を見ようとするこ …
詳細へ[渡辺善太著作選3]聖書論 聖書正典論1/Ⅰ
「聖書なくしてプロテスタント信仰なし」と言われる当の書物を「正典」とするとは如何なることか。多くは人の言葉として記録されたものを「神言」として信じることに横たわ …
詳細へ[渡辺善太著作選1]偽善者を出す処 -偽善者は教会の必然的現象-
著者はそこに説教とは、語られるものであり、聞かれるものである、ゆえに、これが書かれたり、読まれたりするということは、著者によれば、はなはだ不本意なことである。し …
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