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内容詳細

● 『ひですの経』(「ひです」とはラテン語で「信仰」の意)は、1611年長崎で開版され、1907年ベルリンのゴッツシャルク書店の目録に掲載されてその存在は確認されたが、内容不明のまま行方不明になった「幻のキリシタン版」。刊行400周年を目前にした2009年、米ハーバード大学ホートン図書館で実物がついに発見され、日本でも新聞等で広く報道された。

● 内容は、ルイス・デ・グラナダの護教書『使徒信条入門』第一巻の翻訳である。翻訳者は不明だが、天正遣欧少年使節の一人、原マルチノ(1569-1629)が校閲者として記載され、翻訳・編纂作業に関わったとも考えられる。

● 本書はグラナダの広範にわたる博物学的記述や哲学的概念を日本語に翻訳しようとした苦心の産物であり、東西思想文化史、宗教史、語彙史、翻訳論、文献学などあらゆる方面の研究に進展をもたらしえる貴重な新資料である。

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書評

書評

現存唯一の孤本「幻のキリシタン版」を発見するまで

折井善果編著

ひですの経

キリシタン研究第48輯

折井善果

この度、およそ二年を費やして、キリシタン版『ひですの経』(一六一一年、長崎刊)の校註本を教文館より、複製版を八木書店より出版することができた。キリシタン版といえば高校日本史の教科書でお馴染みの『伊曾保物語』や『日葡辞書』と同じ、一六世紀末から一七世紀初頭にかけてイエズス会が主に長崎で出版した活版印刷物である。当時の東洋と西洋の最先端技術の融合、幕府のキリシタン迫害という歴史、世界に三十種余りという珍本・稀本的価値から、国内に存在するキリシタン版のほとんどは重要文化財に指定されている。

二年前、私は三カ月の研究休暇でハーバード大学に滞在した。学位論文が終わり、授業を齷齪とこなす毎日を離れ、新しいテーマを一から探すつもりで、(何故かは分からず、しかし何かに導かれるように)いつもの西行きではなく、東行きの航路をとった。

手始めに、と、ハーバード・ヤードのワイドナー記念図書館で日欧交渉史に関する本を探していると、それらがE・G・スティルマンという人物の旧所蔵であることが多いことに気づいた。一九〇八年の卒業生で、日本関係の書籍・古美術品を母校に寄付した篤志家らしく、彼の個人蔵書のカードカタログまで保存されていた。翌日、吸い寄せられるようにそれをパラパラとめくっていると、ある一枚のカードが眼に留まった。“Symbolo da Fee…1611 …Nagasaqui”、これはもしかしてあの、大学生の時に「幻の本」と聞いたキリシタン版『ひですの経』ではないか。しかもそれは、これまで取り組んできた、スペイン人ドミニコ会士ルイス・デ・グラナダの著作の邦訳だ。自問は次第に確信に変わっていった。コンピューターのおかげで、学内の所蔵場所を探し、閲覧を申請するのに時間はかからなかった。目録の題名にある“Fee”とはポルトガル語で「信仰」を意味し、漢字仮名交じり体で翻訳・出版されたことが、歴史資料から知られていた。しかしその表題紙と序文半丁のみが、一九〇七年、ベルリンの古書店商ゴッツシャルクの目録に表れて以来、行方不明になって現在に至っていたのであった。実は後日談であるが、今から十年以上前に“Symbolo da Fee”のタイトルですでにオンライン・カタログ化されており、世界中のどこからでも書誌情報にアクセスできる状態になっていたというが、その特殊なタイトルゆえに和文体であることは気づかれず、まさに“hiding in plain sight”(晒されたまま目に付かず。ハーバード大学のキュレータ、ホープ・マヨ氏曰く)という状態であった。和書と洋書を行きめぐるキリシタン版の特徴を実体験した次第である。

『ひですの経』が、迫害を逃れ、どのように二十世紀のヨーロッパに流れ着いたのかは未だ不明な部分がある。しかし、先述のゴッツシャルクが『ひですの経』を手に入れたのが、一九〇六年、古書店商の修行中のイタリアであったことまでは判明した。その後も数度所有者が代わり、個人蔵となって「お蔵入り」してしまう危険もあったのだが、運よく免れ、こうして我々の目に触れることになった(この子細は八木書店の複製本で解説させていただいた)。しかも、今年が開版四〇〇周年、ときに教文館の「キリシタン文学双書」シリーズが、『太平記抜書』(刊行年不詳)の校註本を刊了し、一連の校註本を出版し終える直前という、好機の再発見であった。

本書が、印刷学・書誌学・国語学などの研究に利用される資料となろうことは勿論だが、気になるのは、やはりキリスト教書としての『ひですの経』の特徴である。欧文原典にはないアニマ(霊魂)とその不滅論の付加、フィチーノやポンポナッツィなどイタリアの新プラトン主義の影響など、これまでのキリシタン版とは明らかに異なる特徴があることに、教文館の校註本の脚註・解説では触れさせていただいた。キリシタン版『ひですの経』の学術的価値の解明を通じて、かの時代の圧倒的な、「ことば」による宣教の事実を顧みる一助になれば幸いである。

(おりい・よしみ=慶応義塾大学専任講師)

(A5判・二四四頁・定価四七二五円〔税込〕・教文館)

『本のひろば』(2012年1月号)より