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内容詳細
義務教育9年間を不登校で通した少年に「ぼくも行ってみたい!」と言わせたのは、丘の上にある“日本一小さな高校”だった――。
“100歳の高校教師”としてテレビで紹介され、日本中で大反響を呼んだ「うめ子先生」。その、うめ子先生のひ孫・草平君は、小・中学校の義務教育9年間を不登校で通したが、姉があまりに生き生きと高校生活を謳歌しているのを見て、「ぼくも愛真高校に入りたい!」と自ら進学を決意した。
草平君をキーパーソンに、〈聖書と労働〉を軸としたキリスト教愛真高校の教育と、若者たちの伸びやかな生活を綴る、心温まるドキュメンタリー!
書評
若者たちの心の旅を温かいまなざしで丁寧に描く
佐々木征夫著
草平君の選んだ学校――愛真高校 日誌
櫻井重宣
著者は、この書で、島根県の江津市にある「日本一小さな高校」であるキリスト教愛真高等学校で学ぶ若者一人ひとり、そして卒業後の彼らの心の旅をていねいに、心を込めて紹介します。
著者がこの学校を初めて訪ねたのは、二〇〇五年十月でした。数日間の滞在を通しての最初の印象は、ここには「今の教育が忘れ去り、捨て去ってしまった大切なものを守っている。いやそれ以上に、人間が人間らしく生きるために必要な、大切な何かを持っている」ということでした。さらに、若者たちが交代で担当する、愛真高校の「命」、「要」ともいうべき夕会に参加し、「傷つき打ちひしがれた若者をここまで素直に立ち直らせる力は、一体どこから来るのだろう!」と考えさせられます。
それ以来、著者は何度もこの学校を訪問し、青春時代の三年間を全寮制のこの学校で過ごす一人ひとりの心の旅、葛藤、夕会での感話、卒業式のときの感話、さらに若者たちの父母の言葉に自ら心を動かされます。それと共に、寝食を共にしながら、こうした若者の心の旅を温かく、大きな心で、忍耐をもって見守り、抱え込む教職員の労苦に思いを寄せます。
愛真高校は一九八八年、無教会の独立伝道者の高橋三郎先生と地元で農業を営む多田昌一さんをはじめ山陰聖書集会のメンバーたちの祈りが結実して誕生しました。著者は、創立以来この学校において、「人間は何のために学び、働くのか? はたまた生きるのか?」という人間の根源的テーマを掲げつつ、小さなもの、ひたむきさ、謙虚さ、誠実さが大切にされていることに驚きを覚えます。
著者は三十年前、テレビ・ドキュメンタリーのディレクターとして、山形の基督教独立学園を十年間にわたって取材し、「うめ子先生・一〇〇歳の高校教師」として放映し、同タイトルで出版もしました。その著者が愛真高校の最初の取材のとき、桝本うめ子先生のひ孫、百々子さんに出会ったのです。それだけでなく、その百々子さんが休みで愛真高校から帰って来るたびに明るく、前向きな姿を見て、小学校、中学校の九年間不登校を貫いた弟の草平君が愛真高校に行きたいと言いだしたのです。
草平君が入学した年、独立学園の教師で、うめ子先生の二男の妻で、八十六歳の現役の音楽教師、桝本華子先生が愛真高校を訪れ、日曜礼拝で講話しました。草平君の祖母です。講話の後、華子先生は「周りの声をしっかりと聞き、心を低くして、どうか光るもの、本当に美しいもの、本当に尊いもの、清いもの、永遠に連なるものを求めて行く旅ができますように」と祈りました。華子先生は、また、孫たちへの贈る言葉、《遺言》で、「真実な人になって欲しい、どんな人にもやさしい人になって欲しい、貧しい人の友となって欲しい、人を赦せる人になって欲しい。急がずに休まずに、日々の積み重ねを大切に」と語りました。華子先生のこの《祈り》、《遺言》こそ、独立学園、愛真高校という二つの学校の根底にある祈りであるとともに、若者たちへの大切なメッセージです。
草平君は、卒業式のとき「先生たちや仲間たちが、『大丈夫、大丈夫、あせらなくていいんだよ』と本気で面倒を見てくれた。そのうちぼくも、『自分はこのままの、できない自分でいいんだ。ただ自分を信じて、コツコツやって行けばいいんだ』ということに気づいた」と語り、新たな一歩を踏み出して行きました。
著者は、五年間の取材を終え、「人間の幸せとは何か?」といった古からの大命題を痛感させられた、と語ります。それだけに、「幸せの本質、生きる目的」さらに「人生観や価値観の基となる平和とは何か」を考えることを柱とするこの学校の存在の重みを思わされます。
この書は、このたびの大震災により今日までの生き方、歩みが根底から問われている私たちに、今一度、「真に大切なものは何か」ということを考えさせ、多くの励ましとメッセージを与える書です。若い人々にも、同じ世代の若者を持つ親の人々にも読んで頂きたい書です。
(さくらい・しげのぶ=日本基督教団茅ケ崎教会牧師)
(四六判・二八〇頁・定価一五七五円〔税込〕・教文館)
『本のひろば』(2011年10月号)より