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内容詳細

暗黒の中にこそ、光がある

人間が苦しみ悲しみに出会った時、絶望から救い上げてくれる存在。そんな眩い存在を求め、憧れた作家や文学者、宗教家たちがいた。彼らとの出会いを通して、新しい真実に目を開かれ、魂をゆさぶられた思いを軽やかな筆致でつづる珠玉のエッセイ集。

【本書に登場する人物】日野原重明、パブロ・カザルス、ヘルムート・ティーリケ、水野源三、松本総吾、ジュディ・ガーランド、司馬遼太郎、フランシスコ・ザヴィエル、清沢満之、三島由紀夫、太宰治、椎名麟三、小塩力、植村正久、山室軍平、澤山保羅、マルティン・ルター、笹尾鉄三郎、内村鑑三など (目次より抜粋)

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書評

魂をゆさぶられる多彩な人物たち――司馬遼太郎、三島由紀夫からザヴィエル、ルターまで   賛美歌を専門とする大塚野百合から新著が届いた。溶鉱炉からとりだされたばかりの真っ赤なかたまりがどろどろと燃えいるようだ。登場する人物は、日野原重明、カザルス、司馬遼太郎、ザヴィエル、三島由紀夫、太宰治、椎名麟三、ティーリケ、小塩力、植村正久、山室軍平、ルターと、まことに多彩だ。その中で評者の《魂をゆさぶった》文章をいくつか選びだそう。   司馬遼太郎。NHKの大河ドラマで放映された司馬の描く坂本龍馬が、明治以降の日本の進路をみちびく国民的ヒーローとしておどりでた。だが大塚は大衆の熱狂する偶像とは異なる醒(さ)めた視線で、著者の尊敬する司馬の狙いを鋭くとらえる。  意外にも司馬は「仏教は思想として改善されないかぎり、手前勝手――つまりミーイズムな宗教だ」とすら断定している。その彼の心をとらえたのが、日本にはじめてキリスト教を伝えたフランシスコ・ザヴィエルであった。大塚は『街道を行く』第22巻『南蛮のみちⅠ』を読み、「ザヴィエルが生きた人間として本から飛び出して、私を圧倒する」と述べている。ここで注目されるのは、彼女が感動したのは、そのめざましい事績以上に「回心という精神現象」を記すくだりであったことである。   彼女の注ぐ視線は、末尾に近い「マルティン・ルターに学ぶ」の章においても変わらない。ルターは一五一六年から一七年にかけて回心を経験した。神の前で自己に帰ることによって、世界が見えてくる。ここに大塚の変わらぬ視座がある。   三島由紀夫。すぐれて感度のよい大塚の視線がうかがわれるのは《文学者と神》の分析である。三島の「斑女(はんじよ)」、太宰の「竹青」「トカトントン」、椎名麟三の「出会い」「イエスと焼魚」。いずれも小品。ここでは戯曲「斑女」(『近代能楽集』所収)に絞ろう。   大塚は日生劇場で玉三郎の演ずる主人公の狂女花子をみている。「私、体のなかが、待つことで一ぱい」と言う花子が待っているのは、恋人吉雄ではない。それは、絶対者である。これを指摘した司馬に大塚は共鳴する。三島に単純に反発してきた筆者にとり、新しい発見であった。 (評者:加藤武[立教大学名誉教授]、『信徒の友』2011年7月号、日本キリスト教団出版局)