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内容詳細
書評
かがやく命の湧きでる言葉の泉
日野原重明著
『愛とゆるし』
松居直
キリスト者として、また医師としてもゆたかな経験に支えられ、九十九歳という命かがやく尊い人生を生きぬいてこられた日野原重明先生が、滝野川教会での十五回にわたる証をまとめられたのが本書『愛とゆるし』です。
〝キリスト者の真の姿と心を伝える〟この本をご紹介するには、信仰の大先輩でおられる先生のお言葉をそのままお伝えすることがとても大切だと感じ、さらにそのお言葉を日本語の象形文字で書き写して表現することが、私自身にとって信仰と愛を感じとるまたとない機会となると考えて、要所々々を原文のまま引用させていただくことを考えました。
特に現在八十四歳となった私の心に深くひびいたのは、冒頭で先生が語られた、〝十年一昔といいますが、私の今日までの九十九年間の人生において、九十歳を越してからの年月がもっとも変化に富み、充実した日々を過ごしてきたように思われます〟との言葉でした。ついで生きるということについて第二章「人は何によって健やかに生きるのか」では、このように述べられています。
〝私たちは生きるということを考えるときには、何かの病気を持ちながら、あるいは死期が迫っているような場合でも、与えられている日々のクオリティをどうすれば高くすることができるかということを考えることが大切だと思います。それには、私たちに与えられた命を感謝して、その与えられた命に対してどうお返しをするかを常に問わねばならないのではないかと思います。これまでお返しをするどころではなかった人は、いまの時点からでも、何をお返しするかということを考えてほしいのです。〟
〝朽ちる体を持って生まれてきた私たち人間は、生まれたからにはどのように生きていけばよいかを考えなければなりません。それはやはり神さまのお導きによって生きることではないかと思います。そのために私たちは聖書を勉強しなければなりません。そう私は考えます。〟
さらに第三章「朽ちるものと朽ちないもの」では、恩寵について語られています。
〝みなさんも生涯のどこかの時点で災難や病気、あるいは事故に遭うかもわかりません。それは失った時間でなくて、それはあなたが生きるためには大切な時間だったということが後になってからわかるのです。キリスト教ではそれを「恩寵」といいます。神の恩寵とは何かといえば、病気をすることは辛いことではあるけれども、それを通してあなたが本当に尊いものを頂ける機会だったということです。そういうことはその時にはわかりません。後にならなければわからないのです。しかし信仰を持っていますと、今の私がそれにどう耐えるかという試練を神さまが与えて下さっているのだと受け取ることができます。〟
医師として人々の生と死を見詰め、その中に神の愛と恵みを感じてこられた先生の実感が伝わってきます。
〝キリスト教は、生き方を教えると同時に、死に方も教えてくれると私は思います。皆さんの人生にはどのような試練があるかわかりませんが、どのような人生を送ったとしても、最期には「ありがとう」という感謝の気持を表すことができれば最高です。
私たちは土の器に命を与えられたのです。朽ちる体ではありますが、その与えられた体に魂を入れてもらったのです。それを感謝して、イエス・キリストの教えをいただき、私たちは小さなイエスとしていきたいと思います。
私たちの生き方が次の時代をになう子どもたちから、「あのような青年になりたい」「あのような老人になりたい」という気持ちを持ってもらえるような存在でありたいと、私は切に望んでいます。〟
日野原先生は〝これからの子どもたち、特に小学生には心のことを教えなければならない〟と願われて、各地の小学校へ出向いて十歳の子どもたちを中心に「いのちの授業」をおこなっておられます。また二〇〇〇年の秋からは七十五歳以上の高齢者を対象とした「新老人の会」も始められました。それらが第六章「新しい生き方――ゆるし合うこと」に語られています。
『エフェソの信徒への手紙』の四章にある、〝聞く人に恵みが与えられるように、その人を造り上げるのに役立つ言葉を、必要に応じて語りなさい〟を、まさに実践し証されているのがこの『愛とゆるし』と題された命の湧きでる言葉の泉です。
(まつい・ただし=福音館書店相談役)
(四六判・一六八頁・定価一〇五〇円〔税込〕・教文館)
『本のひろば』(2011年2月号)より
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