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内容詳細

今日の電気工学の基礎を築いたマイケル・ファラデーの信仰と敬虔に満ちた生涯を描く。

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書評

大科学者の知られざる素顔に迫る

J・ハミルトン著
佐波正一訳

電気事始め
マイケル・ファラデーの生涯

藤井清久

本書の原題は、『ファラデー――その生涯』(Faraday: The Life)である。本書は、やや硬苦しい邦語版題名『電気事始め』がもったいないと思えるくらい、読んで面白い伝記である。面白い原因は、美術史家ハミルトンが、「科学者」ファラデーではなく、「人間」ファラデーを描いたことにある。ファラデーは、鍛冶屋の家に生まれ、製本屋の徒弟奉公の間に、王立研究所の著名な科学者デーヴィに見いだされて実験助手となり、ついには王立研究所教授として名を残す大科学者となった。このような劇的経歴のために、ファラデーの伝記は、多くの科学史家によって書かれてきた。しかし科学史家による伝記は、どうしても科学的業績が中心となる。だが著者は、人間としてのファラデーに魅力を感じ、ファラデーにおける宗教と科学との関連を中心として本書を書いた。ファラデーが、サンデマン派という非国教派のキリスト教徒の家に生まれ、同派の女性と結婚し、生涯にわたり同派の信徒であったことは知られていたが、同派の教義や、それが科学者ファラデーに与えた影響などについて詳細に論じた日本語の著作は、これまでなかった(比較的詳しい文献には、科学史家島尾永康が書いた『ファラデー――王立研究所と孤独な科学者』[岩波書店、二〇〇〇年]が、英語の基本文献としては、G. Cantor, Michael Faraday: Sandemanian and Scientist: A Study of Science and Religion in the Nineteenth Century, Macmillan, 1991がある)。だが本書によって、日本の読者は、ファラデーにおける科学と宗教とについて、より詳細に知ることができるようになった。
本書においてもっとも興味を惹かれる部分は、女性数学者エイダ・ラヴレースとの交信である。ファラデーの手紙のうち、サンデマン派の信徒とのそれを除くと、信仰について語っているのは、エイダとの書簡だけである。それだけに、ファラデーのいわば本音が語られていると見ることができる。ファラデーは、「他の人間同胞と私の精神的つながりにおいては」、宗教的なものと科学的なものとは、明確に別々なものだと、エイダに書いている。このような注釈をつけて、科学と宗教の分離を強調したファラデーの気持ちのなかに、サンデマン派の長老による厳格な信徒支配や原理主義的聖書解釈と、科学者として必要な自由な思考との衝突があったのでないかと、想像できる。著者ハミルトンも、いくつかの箇所で、そのことに言及している。事実ファラデーは、サンデマン派から一時的に除名処分を受けたことがあった。もちろんファラデーは、名利を求めないという同派の宗教倫理に生涯忠実であったし(王立協会の会長就任を二度とも固辞した)、教派内の軋轢とは別に、ハミルトンが言うように、神の手によって書かれた自然を読み進むうちに、神の手の導きを感じたことは、まちがいないのだが。
本書は、下層階級出身者が、科学界で受けた差別的待遇や、科学者間に生まれる嫉妬心、知的市民の科学愛好会「ロンドン市科学研究会」など、科学社会学的側面にも触れており、その意味でも読んでたいへん面白い。もちろんファラデーの科学的業績も、それなりに書かれている。
最後に、訳について一言。とても読みやすい訳文であるが、二つの注文を書いておく。一つは、抄訳であるにせよ、原著にある引用文献名や注を、省略してしまったことである。これでは、せっかくの貴重な文献の価値を、半減させてしまう。もう一つは、「ブリッジウォーター論文」という訳語である。この「論文」という訳は曖昧で、八冊から構成される著作集であるから、「ブリッジウォーター公記念著作集」と親切に訳すべきである。
(ふじい・きよひさ=科学史家)
(四六版・三三六頁・定価二六二五円[税込]・教文館)
『本のひろば』(2010年9月号)より