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内容詳細

ルターが詩編45編を通して、キリストとの霊的な関係によってもたらされる豊かな喜びを語る。

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書評

キラリと光る究極の言葉と神学の核心

マルティン・ルター著
金子晴勇訳

心からわき出た美しい言葉
詩編45編の講解

江口再起

ルターは教会の改革者・指導者であったが、また大学の聖書教師でもあった。事実、宗教改革運動のその源泉は聖書の研究にあった、と言われる。たとえば宗教改革を切り開いたいわゆる「塔の体験」。それはロマ書や詩編の研究の中から生じた。そのルターの後期の詩編の講解の一つが、このたび金子晴勇氏によって訳出された。それが本書である。
「心からわき出た美しい言葉」で始まる詩編四五編の講解である。一五三二年、ヴィッテンベルク大学で講義された。当時、ルターの健康はすぐれず仕事は多忙を極めていたが、その中で講義はなされた。講義を始めるに当たって、彼はまず次のように語っている。
「まえに予告したように、わたしは幾つかの詩編を講解すべく選ぶことに決めました。というのは健康と業務のためわたしが仕事として詩編の全部や他の聖書を完全な形で解釈する自信がますますなくなってきたからです。そこで悔い改め・信仰・義認の正しい性質を教えた『主よ、あわれみたまえ』という詩編五一に続いて、わたしたちは何か喜ばしい気持ちで教えたり、聴聞したいです。そこで詩編四五『わたしの心から美しい言葉がわき出した』をわたしは取り上げました」。
ここからわかることは、この四五編の講義が五一編という義認を説き悔い改めを迫る詩編の講義の後、今度はもう少し「喜ばしい気持ち」になれるような詩編として選ばれたということである(ちなみに訳者金子氏は五一編の講解もすでに訳出しておられる。『主よ、あわれみたまえ』教文館)。
「喜ばしい気持ち」ということで選ばれたこの詩編は、王と王妃の婚礼の詩である。それをルターは、中世からルターへと受け継がれた「花嫁神秘主義」の思想を用いて解釈していく。もちろん花婿である王がキリストであり、信者の魂、あるいは教会が王妃、すなわち花嫁である。神(キリスト)と人間の関係をこのように結婚として解釈することを、ルターは『キリスト者の自由』でもしているが、こうしたベルナールに始まる花嫁神秘主義の思想的系譜については訳者の丁寧な解説が有益である。
ところでルターに限らないが、我々が古典的巨匠の著作を読む意義はどこにあるのだろうか。ルターの場合、五百年も昔の人物である。五百年前と今日では、あまりに時代背景が違いすぎる。しかもルターの著書は、はっきり言ってどれも多弁、つまりくどい。同じ主旨の文章がくどくどと述べられる。更に聖書の講解ではあるが、今日的な学問的解説というよりも、その実、驚くほど個人的事情や当時の教会の課題、時代状況に引きつけられて解説されていく。したがって教皇や論敵ツヴィングリ等に対する非難の言葉が、講解と称して堂々と述べられていく。
しかし、ルターの詩編解釈の原理は「詩編の全体は比喩である」(一九八頁)である。それゆえ、そうした多弁のただ中に信仰の究極の言葉や、神学の核心が語られる。それがキラリと光る。つまり、そこがルターの著作の魅力であり、今日、読むことの意義でもある。
たとえば究極の言葉がこう語られる。「わたしの罪がすべてキリストの死によって引き受けられたことを信じることによって死を凝視するとき、汚れのかけらもないほどに清純なわたしの頭なるキリストのゆえに、神はわたしが正しく清いと宣言してくださる」(一〇四頁)。結局、これ以上の言葉はないだろう。あるいは「王はあなたの美しさを慕う」(第一二節)をルターはこう解釈する。「あなた自身の美しさによってではなく、その言葉でもってあなたを飾りたもう王の美しさによって美しいのである」(一七二頁以下)。つまり王妃の美しさ(義)は、王の美しさ(義)によって美しい(義)とされる。これこそルター義認論の核心である。ここに花嫁神秘主義と義認論がたくみに結びつけられて解釈されている。
究極の言葉や神学の核心が光っている。やはり巨匠の作品は読むべきである。
(えぐち・さいき=東京女子大学教授)
(四六判・二三六頁・定価二六二五円[税込]・教文館)
『本のひろば』(2010年11月号)より