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内容詳細
初期キリスト教の成立と発展におけるペトロの重要性を2-3世紀の諸資料を駆使して解明する。
書評
過小評価されているペトロの復権を目指す
M・ヘンゲル著
川島貞雄訳
聖書の研究シリーズ64
ペトロ
土岐健治
マルティン・ヘンゲルが八〇歳で出版した、『ペトロ』(原題『過小に評価されているペトロ』)が、邦訳出版された。ヘンゲルの著書は、すでに一一冊邦訳されているとのこと。筆者もヘンゲルの著書三冊の邦訳にかかわった。ヘンゲルは、初期ユダヤ教学・新約聖書学・初期キリスト教学関係の外国の著者としては、最も多くの著書が邦訳されており、従って、日本の読者には、最も馴染み深い当該領域の外国人研究者である、と言ってよいであろう。ヘンゲルは一九二六年一二月一四日、ドイツのロイトリンゲンに生まれ、二〇〇九年七月二日に、テュービンゲンで病歿した。享年八二歳であった。彼は長らく、テュービンゲン大学教授として、また同大学付属「古代ユダヤ教・ヘレニズム宗教史研究所」所長として活躍し、国際的に大きな貢献を果たし、世界的な権威として、多くの研究者を育成した。ヘンゲルが初期ユダヤ教研究に打ち込んだのは、新約聖書は、先行する時代の、そして同時代の、ユダヤ教の文脈によって、最もよく理解できるという信念による。さらに彼の研究は、初期・古代キリスト教史に関する、該博な知識にも、裏打ちされていた。
ヘンゲルは、本書を、マタイ福音書一六・一七─一九の検討から始めている。マタイ福音書は、「おおよそ九〇年から一〇〇年までの間に、南シリアないしパレスチナとシリアの境界地域で」書き記された、とされている(一四頁)。シモンに与えられた、ペトロ(ス)というギリシャ語のあだ名の背後にある、ケーファーというアラム語のあだ名は、イエス自身に遡る、とされる。
マルコ福音書は、マタイ福音書よりも二〇─三〇年前に、「ローマにおける使徒ペトロの殉教のわずか二、三年後に」、ローマで成立した、とされ、著者マルコは、ペトロの弟子にして、通訳であった、とされ、マルコ福音書においても、ペトロはイエスの最も重要な弟子とみなされている、と言う。
「おそらくペトロはすでにイエスの弟子として、祭儀的な掟に対するイエスのかなり自由な態度と、彼が神の意志を愛の二重の戒めに集中していたことに感銘を受けていた」(五八頁)。ペトロは「繰り返し律法に厳格なユダヤ人キリスト教の典型的な代表として描き出されて」きたが、これは全く誤りであり、ペトロは、ローマ人軍人コルネリウスのキリスト教への改宗に立ち会ったという、使徒行伝の記述からも明らかなように、律法から自由な異邦人伝道の開始者であった、とされる。また、ペトロはエルサレムの初代キリスト教共同体の、最高の指導者であり、「ペトロは割礼を要求しない異邦人伝道を認めることをエルサレムの使徒会議で強く主張した」(一〇七頁)とされる。
これらのヘンゲルの主張は、とかく目立ちがちなパウロの影にあって、「過小評価されている」ペトロの、復権を目指したもので、きわめて説得力に富んでいる。
邦訳は、昨年『ペトロ』(清水書院)を上梓なさった、川島貞雄先生という最適の訳者によるものであり、その信頼性は言うまでもない。ただ、何箇所かに見られるドイツ語Gestaltの訳語「形姿」は、「人物」とでもする方がよいのではないだろうか。「エルツ・イスラエル」→「エレツ・イスラエル」などの誤記、「マカバイ」「マカベア」などの不統一、「フラヴィウス」→「フラウィウス」、「ヴェスパシアヌス」→「ウェスパシアヌス」、「ティテゥス」→「ティトゥス」、「アジア州」→「アシア州」など、ラテン語のカナ表記の誤記が散見される。さらに、「エクレーシア」→「エックレーシアー」や、「zhrwth,j」→「zhlwth,j」、「prtitem,nein」→「peritem,nein」、「idoudaizein」→「ioudaizein」など、ギリシャ語の誤記が、十数箇所に認められる。これらは適切な機会に訂正されることであろう。聖書を愛読する、すべての心ある読者に、本訳書を心から推薦したい。
(とき・けんじ=一橋大学名誉教授)
(B6判・三一六頁・定価二七三〇円[税込]・教文館)
『本のひろば』(2010年5月号)より