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内容詳細
「使徒行伝のテーマは、聖霊がくだることによって使徒たち、弟子たちがイエス・キリストの復活の証人となっていく記事であると言うことができると思います」──聖霊・復活・証人をテーマに、「神の痛みの神学」の著者が〈聖霊行伝〉の魅力を語る。朝日カルチャーセンターで語った好評の聖書講話シリーズ。
書評
いきいきと教会の伝道の姿を描き出す
北森嘉蔵著
使徒行伝講話
具志堅聖
西欧の神学者が日本の神学思想を論じる際に登場する人物の中で、際立っている方、それは本書の著者北森嘉蔵である。彼が三〇歳の時に発表した『神の痛みの神学』は、ギリシャ思想に強く影響を受けた中世までの西欧の神学では啓けなかった聖書の神の姿を、浮き彫りにしたと言われる。ルターやモルトマンと同様に、「苦しむ神」こそが人間の苦難に意味と尊厳を与えることができることを訴えたのである。仏教では見いだせなかった救いを、佐藤繁彦氏を通して十字架の神学に見いだした著者の信仰経験は、あの使徒パウロのように彼の生涯の証言となっていったと推察する。北森氏の多くの著書を通して我々はその霊性の足跡を見ることができる。
さて、本書は、北森嘉蔵氏が東京・新宿の朝日カルチャーセンターで語った講義をテープ起こしし、整理したものである。二〇〇四年より、北森講話刊行会が教文館より出版しているシリーズの第八冊目の作品である。北森聖書講話シリーズはどれも実際に北森氏が話された際の様子を読者が可能な限り感じ取れるように編集されている。そのためか、読んでいくうちに不思議とその話の中に引き込まれていくような感じを受ける。読み進む中で、聖書の記事が生き生きと浮かび上がり、そこからメッセージが見えてくるのである。
北森氏の講話では、教会の信徒だけでなく、まだキリストを信じていない方々を強く意識して話している様子が伺える。日本語表現を巧みに駆使しながら、福音を説き明かし、聴衆に応答を求めている。また、フォーサイス、ボンヘッファー、トインビー、モルトマン、トルストイ、カール・ラーナーなどの言葉を取り上げながら、聖書を理解するための深い洞察を与えている。その際、北森氏は難解な表現を避け、代わりに適切な譬えや格言などを用いながら語る。その内容は信仰的、教理的、教育的なものである。聴き手は興奮しながら講話を聴き、聖書を学んだことを容易に想像することができるのである。
また、本書において北森神学の特質がはっきりと浮かび上がるところがある。「神は己の血をもて買ひ給ひし教会」(使徒二〇・二八)の聖句に触れ、『神の痛みの神学』を展開する。「神は言うべからざる苦痛を嘗めた」、「キリストの死は神の死である」と述べた植村正久を評価し称えつつ、その点を見いだせなかった西洋の神学の欠けを指摘するところが北森節の一つの特徴なのであろう。じかに北森嘉蔵氏の講義を伺う機会があればきっと多くのことを学び、豊かな感化を受けたことであろうと思う。
更に、この講話シリーズを通してある種の北森嘉蔵説教論を学ぶこともできる。彼の説教は、講解説教であるとも言えるが、同時に物語説教の骨格も有していることが分かる。使徒行伝をナラティブとして読み、ナラティブとして解釈し、その中心ポイントをしっかり捉えて、物語を大胆に語っている。字句解説に終始することなく、自分の言葉で物語を語り直すところなど、学ぶべき点が多くある。ぜひ、読者には『日本の説教Ⅱ 第一二巻 北森嘉蔵』も併せて読んでいただきたい。日本文化やその思想をもつ聴衆に、どのように聖書を説き明かしたかなどを探求することができると思う。
最後に、今回の『使徒行伝』は後半の一八章から二八章のところ、すなわち使徒パウロの第二回伝道旅行以降の記事を詳しく取り扱っていない。北森氏のパウロ論に深く触れることができない点は少し残念に思う。
このような北森嘉蔵作品を世に出し続けている日本基督教団千歳船橋教会と北森講話刊行会、その関係者の労に敬意を表する。すべての信徒に読んで、味わってもらい、また伝道に用いてもらいたい一書である。
(ぐしけん・きよし=日本福音同盟総主事)
(B6判・二一二頁・定価一八九〇円[税込]・教文館)
『本のひろば』(2010年7月号)より
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