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内容詳細
宗教改革者としての試練と闘いの中でルターを支えた詩編の言葉。生涯を通して詩編を愛したルターが、慰めに満ちたメッセージを説き明かし、独自のキリスト論的・人間論的な考察を展開する。信仰の旅路を導く円熟期の詩編解釈3編を収録。
書評
<本のひろば2022年1月号>
流れのほとりに植えられた木の幸い
〈評者〉大島征二
ルターと『詩編』に親しむ好個の書がまた一つ与えられた。ルターの詩編講解の中から選ばれた三編から成る本書は、金子晴勇氏の最新の翻訳である。名著『ルターの人間学』以降多くの著作と翻訳によって、氏がルター研究に止まらず、広くキリスト教人間学を先導しておられることは紹介するまでもないだろう。
ルターにとって『詩編』が旧約聖書の中でも特に親しい文書であったことは、彼の『詩編への序言』(一五二八年)の言葉に明らかである。駆け出しの聖書学教授ルターが一五一三年最初の本格的講義で選んだテキストが『詩編』であり、さらに『九五箇条の提題』が惹き起こした事態の渦中で、一五一九年に再び詩編の講義が試みられている。
『詩編』はルターの改革思想の源泉の一つである。詩編講解の下地なしに『ロマ書』における「神の義」理解の大転換も生じなかったであろう。ルターは「詩編の全編を完全に暗記するほど習熟」(金子)していたそうだが、『詩編』は彼にとって旧約の中の福音書であり、救いの約束、福音は、日々の生活においては身近な慰めと励ましのことばでもある。
第一編の講解は、自ら惹き起こした事態の先行き定かならぬ状況下でなされたもの。不敬虔な者の「二重の罪」や「仮面と偽善」といった表現は腐敗した教会体制への糾弾であり、当時の雰囲気が覗われる。他二編と異なりルター版ドイツ語聖書はずっと先のこと。ヴルガタとヘブル語テキストに拠って、語義的、比喩的、転義的釈義方法に則ってなされる講解はいかにも大学での講義らしい。中核をなす三節の講解が『キリスト者の自由』で「みごとに」詳論されるとの訳者の指摘は鋭い。
ルターは詩編八編にキリストについての「燦然たる預言」を見出し、「彼について説いて聞かせる機会をもつために」本編を取り上げたと冒頭に述べている。「キリスト論が詳しく語られる」(金子)当講解は、ルター晩年の平易に語られたキリスト論綱要として、第一編の講解における信仰的実存論と時を隔てて対をなしている。
二三編の講解は、五二歳のもの。ルターの肖像画を見ると壮年期の体形に青年期の痩身の面影はない。肥満は健康状態の指標の一つであるが、四〇代後半以降彼は結石等種々の病に苦しんだという。前年からの九〇編の連続講解で、「死のさ中にあってわれわれは生のうちにある」と死を見据えて喝破したが、当講解もまた死を直視し克服しようとする彼の信仰的省察の一大結晶である。「これよりも優れた『慰めの書』がないほどに優れた内容」という訳者の解説は大いにうなずける。
当該三編を翻訳した理由を訳者は「一般に愛唱されているから」と記しているが、それぞれの講解を読むと、ルターが各詩編の中から掘り起こしたメッセージの豊かさに驚き心動かされる。金子氏は詩編九〇編、五一編、四五編のルターによる講解を既に翻訳出版しており、今回の翻訳と合わせて、信仰の糧である選りすぐりの諸編を身近に読めることは大きな喜びである。病躯をおしての訳業に衷心から感謝したい。