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内容詳細

青年法律家は獄中の使徒を救えるのか?

キリスト教最大の伝道者の実像を原史料に基づいて再構築し、その卓越した神学と生涯を描き出した著者渾身の思想小説。
新約聖書学の碩学が「遺言」として贈るパウロ研究の結実!

【あらすじ】
舞台は紀元後61年のローマ。ストア哲学を信奉する若き法律家エラスムスは、友人のユダヤ教徒からある男の弁護を依頼される。その人物は、エルサレム神殿を異教徒に開放した廉で移送されてきたパウロという「キリスト信奉者」であった。受任を逡巡するエラスムスであったが、恋心を抱くユダヤ人女性ハンナの勧めもあって、遂にパウロとの接見を果たす。しかし、その先に垂れ込める暗雲とは……?

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書評

最初期の教会のリアルを映し出す小説

浅野淳博

 タイセン著・大貫訳のタッグによる『パウロの弁護人』、読まずにいられない。現代ドイツ聖書学を代表するゲルト・タイセン教授は、以前にもそのイエス考を物語として描いたが(『イエスの影を追って』一九八九年、原著二〇版二〇〇七年)、今回は語り口がやや異なるものの(四七三頁)、本著でそのパウロ考を試みた。訳者の大貫氏は説明の必要もないが、本著草稿の段階から助言を提供するほどにタイセン教授が信頼を置く理解者であり(五頁)、これほど相応しい訳者は他にない。

 本著は、主人公であるローマ在住の若き弁護士エラスムスが、近ごろ(後六一年)市内に軟禁されたキリスト者パウロの弁護を依頼されると物語が動き出す。前半では、依頼を承諾するか判断すべく主人公が関係者と面談する過程で、パウロ像が浮き彫りとなる。後半では、パウロの弁護を決断するもそれが頓挫する原因となる二つの歴史的事件が進む中、エラスムスの目をとおしてキリスト者とその集会の在り方が明らかになる。各章末にはストア派の主人公とエピクロス派の友人の往復書簡が配置されて、哲学諸派の視点からユダヤ教やキリスト信仰の輪郭が刻まれる。さらにエラスムスとある女性とのあいだを往復する恋愛感情が全編を貫き、これが哲学的議論との均衡をもたらす。

 これまで読者は、パウロに関するある種の前提を概念として抱いていただろう。本著はパウロなる記号に血を通わせ息を吹き込む。読者は目の前で生身の人となって動き出すかつての記号に戸惑いながら、〈あるいはこういうことだったかも〉と最初期の教会のリアルを再考する機会を得る。パウロの回心は、とくにファリサイ派学塾の同窓シメオンの証言をとおして、民族宗教の狂信主義者からの回心として描かれる(四章)。ここには、パウロの顕現体験が改宗か召命かという問いに関する著者の応答があろう。主人公の友人ナタンは、コリント教会がすでに収集していたパウロ書簡群を入手してパウロの思想を探る(五章)。読者はこの設定に触れて、パウロ書簡群がなぜ、いつ収集され始めたかを考えずにいられない。ローマ市内の家の教会では、かつてフィレモンの奴隷だったオネシモが説教を行うが(八章)、読者はパウロへの言及と引用がそこで繰り返される様子に違和感を持つかも知れない。これはたんにパウロ考という本著の関心を反映したものか、あるいは初期異邦人教会におけるイエスとパウロとの関係について読者に熟考を促す著者の意図か。

 弁護士エラスムスはパウロとの接見をとおして、ローマ法の擁護者なる自らの立場を再確認するも(六章)、セクンドゥス殺害事件を受けて履行された奴隷法によって四〇〇人の奴隷が処刑されたことを機に、法律に対する自信を失する(七章)。エラスムスはこれ以降ユダヤ教とキリスト者集団への親和姿勢をますます強める。最後となる往復書簡では、主人公がそれでもキリスト者となることを躊躇する理由として八つの批判点を挙げる(一一章)。それらは、開かれたユダヤ教としての教会と他宗教との関係、教会運営における知性と体験との均衡、ミッションとしての弱者擁護と公共性との整合性、イエスの死に依拠するキリスト者倫理の方向性と要約されよう。これらの問題は、エラスムスを通して著者が現代の教会へ提示する喫緊の課題だ。

 そもそも本著のジャンルは何か。『クオ・ヴァディス』のような歴史(時代?)小説とは異なる。それは歴史上の人物に空想を運ばせる。本著はむしろ、新約聖書学者である著者がその研究成果を広い読者層へ分かり易く魅力ある仕方で届けるための、小説仕立てのパウロ考だ。その意味での制約は歴史小説より多い。ロマ一三・一─七の諸解釈(二章)やパウロ書簡群の構成(五章)は小説的関心を越えていようが、本著には欠かせない。著者はその制約を創造性の機会とし、ローマ在住のエリート層に映るパウロをみごとに甦らせた。

(あさの・あつひろ=関西学院大学教授)

「本のひろば」(2018年8月号)より