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内容詳細
恩師にキリスト教教育への志を託されてから47年。祈りを注いで伝道する中で困難と対峙し、喜びを深く感じ取った日々。牧師となってから西南学院大学に赴任するまでの出会いと別れをイラストとともに回想する。
【著者紹介】
塩野和夫
1952年大阪府に生まれる。同志社大学経済学部卒業。同大学大学院神学研究科後期課程修了。神学博士。日本基督教団大津教会、宇和島信愛教会、伊予吉田教会、西宮キリスト教センター教会牧師を経て、現在、西南学院大学国際文化学部教授。 著書に、『近代化する九州を生きたキリスト教』『キリスト教教育と私』前篇、中篇(教文館)、『継承されるキリスト教教育』(九州大学出版会)、『キリストにある真実を求めて』(新教出版社)など。
書評
つぶされた現実を乗り越える魂の回顧録
松見俊
本書は著者が「あとがき」で書いているように前篇(二〇一三年)そして中篇(二〇一五年)の出版に引き続くシリーズもので、『西南学院大学国際文化論集』に発表された「キリスト教教育と私」という論文を編集したものである。著者が同志社大学神学部に編入学した一九七五年から西南学院大学に着任する直前九三年三月までの一八年間、一人のキリスト者、牧師、学究として奮闘し、傷つきながら生きてきた魂の回顧録である。それは、キリストの恵みによって生かされてきたゆえに、「つぶされた現実を乗り越える」物語でもある。私が本書を読んで心に浮かんできた聖句は、IIコリント四・七〜一〇である。「ところで、わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために。わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない。わたしたちは、いつもイエスの死を体にまとっています、イエスの命がこの体に現れるために」。
本書は一二章と付録の一〇文章(祈り)から成り立っている。一章には、著者が同志社大学神学部において経験した、恩師がたとの出会い、そして、「イエスの言を聞く集まり」を立ち上げる顛末(神学部自治会関係者との確執を含む)、そして、早くもこの時から、腎臓に問題を抱えていたことが語られている。第二章は、神学の学びの中で多くの友人たちとの出会いがあったことが言及される。塩野は出会った教師たち、友人たち、教会の仲間たちの表情、言葉、しぐさを丁寧に記憶している人である。「読書ノート」なども登場するので、出会った友たちだけではなく、ご自分の語った言葉などを含めて日々の出来事を几帳面に記録に残しているのであろう。
第三章〜四章は、同志社で修論のテーマとなった、詩編四二、四三編との出会いを縦糸にして、ここでも、神学生としての教会での奉仕や多くの友人たちとの出会いの喜びが横糸として奮闘記を織りなしている様を描いている。
第五章は、一九七九年、伝道師として最初に赴任した日本基督教団大津教会の会員たちとの多彩な出会いや教会での奉仕を生き生きと彷彿させる。第六章でも大津教会での出来事が綴られている。この章は腎臓病が悪化して、血尿が出たこと、そのような中で日本基督教団宇和島信愛教会と伊予吉田教会から牧師としての招聘があったことで閉じられている。
第七章〜九章までは、宇和島信愛教会と伊予吉田教会での出会いの物語である。実に著者は牧師として、祈りの人、人に関心を持ち、家庭訪問をする人である。しかし、人との親密な出会いは互いに人を傷つける。キリスト教会で良くある話であると言えばそれまでであるが、新任牧師の活躍で新しい風が吹いてくると古い会員たちの間にザワツキが起こる。そして、牧師配偶者にもまたストレスが溜まる。彼らは志半ばで、八年間の働きを収束させざるを得ず、宇和島を去ることになる。
第一〇章からの三章は、牧師としての挫折後、同志社大学大学院後期課程で学究生活に戻り、伝道・牧会で受けた傷の意味を反芻し、将来教育者として西南学院大学のキリスト教学、宗教学の担当者として任用される直前までの歩みを扱っている。
著者はまさに、情熱(パッション)の神に応答する、情熱の人、また、傷ついた者の傍らにいようとする「共感共苦」(コンパッション)の人である。そして、恩師たち、仲間たちから期待され、祈られ、愛されてきた人である。各章に、ときに辛辣で、人を傷つける、それでいてまっすぐなもの言いをする教会に集う人々の言葉が書き留められている。牧会に疲れ果て、消耗する経験を持つ人は、共感、苦笑しながら、本書を通して慰められ、癒されることであろう。是非、一読をお勧めする。
(まつみ・たかし=西南学院大学神学部元教員・バプテスト東福岡教会協力牧師)
「本のひろば」(2018年6月号)より
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