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内容詳細

〈God=神〉のはじまりを辿る!

スウェーデンで出合った、国宝「銀文字聖書」。金と銀泥で刻まれた写本を起点に、4世紀に生きたゴート人のウルフィラの偉業を辿る。ゲルマン民族大移動という動乱のさなか、彼は文字を創り、聖書を母語に翻訳し遂げた。多神教の世界で、一神教の「神」をどう表現したのか? 1500年の時を超えて現存する唯一の写本をめぐるエッセイ。
『銀文字聖書の謎』(新潮選書、絶版)を初学者向けに改稿し、読みやすくなりました!

◆目次
はじめに──銀文字聖書
Ⅰ ゲルマン語聖書の誕生
  ドナウ河のほとりで
  ゴートの司教ウルフィラ
  ドナウ河南岸への脱出
  キリスト教初期の内情
Ⅱ 「神」の発見
  「グス」ということば
  主の祈り
Ⅲ 銀文字聖書、1500年の旅 ゴート語訳原本と民族大移動
  ハンガリーでの発掘
  ヴェルデンの修道院での発見──16世紀半ば
  カール大帝の時代
  プラハからスウェーデンへ
  ゴート語の文献
Ⅳ 遠くて近いブルガリア
  東方キリスト教の静謐な地
  おわりに
  ウルフィラの最期
年表
参考文献
あとがき

◆著者紹介
小塩節(おしお・たかし)
1931年長崎県生まれ。中央大学文学部教授、フェリス女学院院長・理事長等を歴任。前駐ドイツ日本国大使館公使・ケルン日本文化会館館長。現在、ひこばえ学園理事長・園長、中央大学名誉教授。
著訳書『旅人の夜の歌─ゲーテとワイマル』『木々との語らい』、トーマス・マン『ヨセフとその兄弟』ほか多数。

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書評

言語の多様を生き生きと描く

斎藤佑史

 本書は、今もスウェーデンのウプサラ大学の図書館に残存する古代ゴート語の聖書写本『銀文字聖書』のルーツを探る物語である。ギリシャ語からこのゴート語へ聖書を翻訳した人物は、ウルフィラというゲルマン民族の一つゴート族の最初の司教である。従ってこの『銀文字聖書』のルーツを探る旅は、このウルフィラを軸に展開することになる。

 聖書の翻訳と言えば、新約聖書をギリシャ語原典から、旧約をヘブライ語原典からドイツ語に翻訳したマルティン・ルターが特に有名である。ルターはもちろん、宗教改革者としてドイツばかりでなく、ヨーロッパ全体を揺るがす歴史的役割を果たした人物であるが、ドイツ文学の上では、強い信仰の上に立ってルターが訳した聖書の生きたドイツ語が、後のドイツ文学の基礎となり、その影響には計り知れないものがある。

 それに比べると、本書で扱われる人物の物語は、時代ははるか昔、四世紀のゲルマン民族大移動の時に遡り、主人公ウルフィラの属したゴート族は、六世紀半ば東ゴート王国が東ローマ帝国に滅ぼされた後、難を逃れてその子孫の一部がクリミア半島に一五世紀まで生き延びたという史実はあるものの、使用されたゴート語はとうの昔死滅した言語である。聖書翻訳とは言え、はるか昔に滅びた民族のための、滅びた言語の聖書翻訳物語である。従って後世への影響という点では、ルターと比較にならない面があるとは言え、ルターよりはるか以前にルターのような信仰の上に立って、聖書翻訳を個人で生涯かけて成し遂げた人物がいたということは、驚くべきことである。日本のようなキリスト教が少数派の異文化の国では、ほとんど知られていなく、その意味でも本書は意義深いと言わなければならない。そこで本書では、そのウルフィラの聖書翻訳作業が、いかに困難な状況下で行われたか、はるか昔の事ゆえに参考資料も乏しい中、彼の生い立ちの歴史的背景を辿りながら解明していくことになる。その中で注目すべきは、ルターの聖書翻訳と違って、ゴート語が他のゲルマン語と同じく文字のない音声言語であるために、ウルフィラは自らゴート語の文字を案出しながら、ギリシャ語からゴート語へ聖書を翻訳したということである。これがいかに困難な作業であったか、その格闘の様子を、著者は二つの事例をもって示そうとする。一つは「神」を表すギリシャ語の「テオス」を古代ゲルマン語の古語「グス」、もう一つは主の祈りの呼びかけの「父」のギリシャ語「パーテル」をゴート語「アッタ」と訳すに至った経緯である。この解明部分が言わば、本書の核の部分であり、著者が本書で読者に最も伝えたい箇所であると言ってよいであろう。

 ゴート人を含めゲルマン民族は自然宗教の多神教で、唯一神を表現する言葉がない中で、ウルフィラが「グス」という言葉に出会うのは、まさに「神」の発見だった。このウルフィラの発見は、ヨーロッパ精神の源流にある、ラテン的精神世界とも違うゲルマン的精神世界の源流となる「神」の発見でもあると著者は言う。

 そこに言わば後世に問題となるカトリックとプロテスタントの対立、その淵源の一つを見て取っているのは大変興味深いが、さらに興味深いのはその「神」に出会うまでの具体的な翻訳作業の記述である。即ち、源は同じ神でありながら、言語によって表現の仕方が違う、そもそも異なる民族の言葉は翻訳可能なのかなど、著者自らの翻訳の経験を踏まえて、翻訳者として格闘するウルフィラの姿を、心理描写を含め生き生きと描きながら追求している点である。これはエッセイストとしての著者の顔をのぞかせている面でもあり、細かい事柄を扱っても読者を飽きさせない類書にない魅力の源になっていると言えよう。

 本書は「ドイツ」という意識がゲルマン民族に生まれる前の物語であるが、ドイツはもとより、ヨーロッパとは何かということに関心のある人に是非読んでもらいたい本である。

(さいとう・ゆうし=東洋大学名誉教授)

『本のひろば』(2017年11月号)より