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内容詳細

固定的な歴史観を排する新しい事例的知見!

国家の教育統制に対して、キリスト教主義学校はどのように対峙したのか? 各学校の多様な実態を史料に基づいて比較検討し、一方的な抑圧や追従といった通念的な見方を再考する共同研究。日本の教育史・キリスト教史にとって重要な観測結果を提供する。

〈目次〉

まえがき(榑松かほる

第1章

キリスト教主義学校に対する文部省の統制
――訓令第12号対象校と専検指定校を経営する法人の目的をめぐって(大島 宏

第2章

立教高等女学校の妥協と抵抗
――正規校であることとキリスト教主義のはざまで(高瀬幸恵

第3章

同志社高等女学部への統制とその対応についての考察
――末光信三と同志社理事会の対応を中心に(柴沼 真

第4章

関東学院の建学理念の‘揺らぎ’
――財団法人化と寄附行為の変更過程(影山礼

第5章

興亜教育とキリスト教主義学校
――学科等改編に見るキリスト教主義学校の戦時政策への対応(辻 直人

第6章

北京崇貞学園への日本政府の財政援助
――日中戦争後の事例を中心に(榑松かほる

【巻末資料1】
キリスト教主義学校経営法人の目的(大島 宏
【巻末資料2】
キリスト教主義学校の目的(大島 宏
【巻末資料3】
キリスト教主義中等教育機関の認可および財団法人設置認可年(高瀬幸恵

あとがき(影山礼子

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書評

国家の教育統制への対応に関する実証的研究

播本秀史

 キリスト教主義学校は天皇制と抵触する。大日本帝国憲法第三条「天皇ハ神聖ニシテ侵スへカラス」と建前上その天皇の言葉としての「教育勅語」、さらには「文部省訓令十二号」が重く圧し掛かる。

 本書は「一九三七年以降の戦時下に於けるキリスト教主義学校が国家統制にどのように対峙、対応していったのかを資料に基づき実証的に明らかにした」(三頁)ものである。「一方的な抑圧や追従といった通念的な見方を再考」し、「日本の教育史・キリスト教史にとって重要な観測結果を提供する」(帯文)ものとなっている。

 本書は「まえがき」、六つの章、「巻末資料」「あとがき」より成る。「まえがき」は榑松かほる氏が担当し、本書の成り立ちと各章の要点が示されている。「あとがき」は影山礼子氏が担当し、本書の成果と今後の課題が示されている。「巻末資料」は大島宏氏、高瀬幸恵氏による作成。資料1ではプロテスタント系とカトリック系との法人の目的の差異。資料2では法人の下にある各学校の目的の差異。資料3には訓令十二号に対する学校側の抵抗(各種学校化)と文部省の圧力(財団法人化)が見て取れる。いずれも有益な資料である。

 第1章「キリスト教主義学校に対する文部省の統制」(大島宏)──ここでは「法人の目的」に着目し、文部省による統制の対象やその意図、方法が明らかにされている。法人化することによってキリスト教教育への規制を強化し、加えて「教育勅語」の趣旨に基づく教育に統制してゆく様が描かれている。

 第2章「立教高等女学校の妥協と抵抗」(高瀬幸恵)──「同校は、正規の高等女学校として運営されていたため、課程内外における宗教教育は禁止されていた」(六頁)が、御真影と教育勅語謄本の受け取りが一九四四年と遅かった。他の基督教教育同盟会加盟校は多くが一九三七年以降であった。一九三六年七月の同盟会議に於ける田川大吉郎の対文部省対策などと合わせて考えさせられる。

 第3章「同志社高等女学部への統制とその対応についての考察」(柴沼真)──同校は「各種学校であり続けることで、キリスト教教育を実施する余地を残そうとしていた」(六八頁)。しかし、キリスト教を破棄させるために、文部省は学費値上げを認可する交換条件として、高等女学部を高等女学校とするよう仕向けた。また、同志社理事会もそれに応じた。一貫してキリスト教教育を守るべく奮闘した「末光信三」を新設女学校の校長にする案に文部省が難色を示し、理事会も同意した。「固定的な歴史観を排する新しい事例的知見」の一例であろう。

 第4章「関東学院の建学理念の'揺らぎ'」(影山礼子)──外国人宣教師の減少(排除)、日本人理事の増加、ミッションからの経済的独立、財団法人化が文部省対策の結果であった。一九四〇年の時点で関東学院が教育目的に「基督教主義」の文言を残せた背景に「横浜地域のキリスト教主義学校の団結した対応の成果があったらしい」(一〇一頁)との言及は一考に値する。基督教教育同盟会の在り方、働きと対比できよう。

 第5章「興亜教育とキリスト教主義学校」(辻直人)──ここでは積極的に時流に乗った学校として明治学院東亜科を中心として論考されている。戦時下の明治学院を概観し、矢野貫城本人と、彼を迎えた明治学院の姿勢にその時代の典型を見ている。「軍事的圧力が強まる中、如何に学校組織を維持するかという点に注意関心が向いていたと考えられる。彼らにとってのキリスト教信仰とは何だったのだろうか」(一四八頁)。

 第6章「北京崇貞学園への日本政府の財政援助」(榑松かほる)──ここでは「戦時下の国家統制のゆえに発展したキリスト教主義学校」(一五五頁)として桜美林学園の前身である北京崇貞学園について論考されている。特に清水郁子の働きは見事に国策に合致する。体育館建設は国家総動員の趣旨に合うし、留学生派遣は日本の国益と合致する。政治に翻弄された教育の一例である。

 いずれも魅力的な題名にふさわしい優れた実証的研究で、間接的にキリスト教主義学校の存在意義も問われる。一読をお勧めする。

(はりもと・ひでし=明治学院大学教授)

『本のひろば』(2017年9月号)より