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内容詳細
近代的自由の源泉がここに!
16世紀に教会と神学を一新し、その後、社会・文化・政治をも新たに形成した「宗教改革」。その中心テーマであった義認論の歴史的・現代的意味をコンパクトに解説。宗教改革の世界史的意義を明確にし、将来へと開かれた学びを提示する画期的文書。
「義認と自由は本質的な関係にある。自由の意識を生み出さない義認の説教は空虚であるが、神による義認のない自由の意識は偽りである。ルターに始まる宗教改革は、ルター派教会のものでもドイツ国民のものでもない。プロテスタント教会のものでもキリスト教のものでもない。その意義は全世界史的である」(「訳者あとがき」より)
【目次】
日本語版序文
第一版序文
第四版序文
第一章 初めに 宗教改革、当時と今
第一節 宗教改革、当時と今。その中心テーマとしての義認
第二節 宗教改革──未来へと開かれた学び続ける歴史
第二章 宗教改革的神学の核心
第一節 義認という概念について──宗教改革を解く鍵
第二節 Solus Christus──キリストのみ(allein Christus)
第一項 神学的に基本的な考え方──もはや神から離れられない
第二項 どこで神は明瞭に見出せるのか──ただキリストにおいてのみ
第三項 人間は誰を信じるべきなのか──ただキリストだけを
第四項 現代の挑戦
一 教会からの挑戦──キリストを宣べ伝える
二 社会からの挑戦──誠実に応対する
第三節 Sola gratia──恵みからのみ(allein aus Gnade)
第一項 神学的に基本的な考え方──神は人間に身を向ける
第二項 神の行為全体の特徴としての恵み
第三項 人間の行為からではなく
第四項 現代の挑戦
一 教会からの挑戦──根本的に罪人
二 社会からの挑戦──あまりに人間的な価値観の批判
第四節 Solo verbo──御言葉においてのみ(allein im Wort)
第一項 神学的に基本的な考え方──宣べ伝えられる神の言葉
第二項 神によって告げられる判決としての義認
第三項 義認は人間に告げられねばならない
第四項 現代の挑戦
一 教会からの挑戦──心と知性をもった説教
二 社会からの挑戦──語りには時がある
第五節 Sola scriptura──聖書に基づいてのみ(allein aufgrund der Schrift)
第一項 神学的に基本的な考え方
第二項 神の言葉、伝統ではなく
第三項 聖書と共なる人生
第四項 現代の挑戦
一 教会からの挑戦──生きるための真理
二 社会からの挑戦──聖なるテキストとの取り組み方
第六節 Sola fide──信仰によってのみ(allein durch den Glauben)
第一項 神学的に基本的な考え方──天から操られる人形劇場ではなく
第二項 信仰は人間の業ではなく、神からの働きかけである
第三項 全信徒祭司性
第四項 現代の挑戦
一 教会からの挑戦──すべてのキリスト者は福音を宣べ伝える
二 社会からの挑戦──無為にとどまることなく
第三章 どのように祝うことができるか
第一節 記念祭と想起の文化
第二節 宗教改革と自由の歴史──一つの実例
第三節 祝うことのさまざまな次元─脱出から旅立ちへ
第四章 結 び
原 注
訳 注
入門的な参考文献
リンク先
委員会構成メンバー
訳者あとがき
書評
「教会からの挑戦」と「社会からの挑戦」
藤掛順一
本書の原書は、ドイツ福音主義教会(EKD)が二〇一七年一〇月三一日の「宗教改革五百年祭」に備えて行った「ルター十か年計画」事業の一つとして二○一四年に出版されたものであり、翌年に出された第四版からの邦訳である。五百年目の今日のドイツの社会において「宗教改革」を記念することの意義を、キリスト教会に対してのみでなく一般社会に向けて示すことが本書の目的である。「義認と自由」というタイトルにその意義が端的に語られている。
本書は先ず、「宗教改革的神学の核心」である「義認」が、「愛、承認と評価、赦し、自由」という、二一世紀を生きる我々にとっての重要な問題と深く関わるものであることを指摘している。義認とは、弱さと罪を持っている人間に対する神の情熱を込めた「愛」であり、我々が切に求めていながら人間関係において得られない「承認と評価」を、また我々が真実に必要としている「赦し」を神が無条件で与えて下さることである。この「義認」によって我々は自分自身への囚われから解放され、隣人との交わりへと「自由」にされるのである。
「神による義認」は五つのsolus(〜のみ)によって与えられる。「キリストのみ」「恵みからのみ」「御言葉においてのみ」「聖書に基づいてのみ」「信仰によってのみ」である。これらの「のみ」によって、「義認」は我々の人生の展望を根本的に新しくし、慰めに満ちた土台を与えるのである。本書の中心部分である第二章は、この五つの「のみ」が示している義認の真理を明らかにすると共に、現代の社会を生きる人間にとってそれがどのような「挑戦」となるのかを語っている。そのために、五つの「のみ」を扱うそれぞれの節の最後には「現代の挑戦」という項があり、それぞれの「のみ」をめぐる「教会からの挑戦」と「社会からの挑戦」が論じられている。ルターの宗教改革から百年ごとの区切りはかつてのドイツにおいては国民的な祝祭だったが、世俗化の進む今、「五百年祭」のインパクトは失われつつある。その現実を見つめつつ本書は、五つの「のみ」によって与えられる義認が、現代社会を生きている人々にとっても、教会からの意味ある「挑戦」であることを示し、同時に教会も、この社会の現実からの挑戦をしっかり受け止めて歩む必要があることを語っているのである。
本書に対して、「〜のみ」によって宗教改革の核心を語ることは、カトリックに対する、また他宗教に対する排他的な姿勢だという批判が寄せられたことが「第四版への序文」に指摘されており、それに対して、本書はカトリック教会とルーテル教会世界連盟との『義認の教理に関する共同宣言』(一九九九年)を踏まえたものであり、さらに「御言葉においてのみ」には、「バルメン宣言」と「第二ヴァティカン公会議の諸見解」が活かされているのだという反論がなされている。「『〜のみ』という定式は、今日そのもともとの神学論争的な性格を失い、むしろ神の言葉を宣べ伝えるためにキリスト教会に委ねられた共通の責任を浮き彫りにしている」(一五頁)という指摘は重要である。
神によって与えられる「義認」のもたらす「自由」は、組織的強制に対する個人の良心の自由へと結実し、その自由を基本的価値として保証する民主主義の基盤となった。ルターの宗教改革から直ちに近代民主主義が生まれたわけではないが、「民主主義的な法治国家の近代的な憲法形態は、ルターの根本的な神学的確信に合致しているのである。人間の良心は内容いかんにかかわらず、他の人間によって制御されることもできなければ、制御されることも許されない。この洞察の中に、ルターの確信は生き続けている」(一二六頁)。この点において、宗教改革五百年を記念することは、今の日本社会に生きる者にとっても意味ある挑戦となる。宗教改革五百年を昨年のみのイベントに終わらせずに我々の血と肉としていくために、本書を熟読したい。
(ふじかけ・じゅんいち=日本基督教団横浜指路教会牧師)
『本のひろば』(2018年5月号)より