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内容詳細
日本の精神的伝統とキリスト教信仰の間で苦闘する魂の軌跡
近代日本の精神と社会的事象への関心を自らの真理の探究に組み込み、明晰な言葉で独自の思想を表現し続けた稀有の天才、内村鑑三。本書は、旧約聖書の預言者的人物として現れた内村の生涯を、日本の伝統と、西洋の精神的中核であるキリスト教との間で引き裂かれながらも、統合と共存を求めた精神的苦闘の軌跡として描き出す。内村門下生の証言と膨大な文献を元に、宣教師にルーツを持つカナダ人研究者が生涯をかけて書き上げた、これまでの内村像とは異なる斬新で包括的な論考。
書評
内外に類を見ない浩瀚な「内村伝」
村松 晋
『近代日本のバイブル──内村鑑三の『後世への最大遺物』はどのように読まれてきたか』(鈴木範久著、教文館、二〇一一年)には、アメリカの大学で『後世への最大遺物』と出会った日本の学生達の逸話が紹介されている。諸事情から「無用者」との自覚に倦み疲れていた青年らに異国の地で内村を説き、「後世への」眼を啓かせた「J・H教授」こそ、本書の著者J・F・ハウズ氏にほかならない。氏は一九二四年シカゴ郊外に生まれ、かのドナルド・キーン氏と似た経緯で日本語を習得(本書九頁、以下頁数のみ)、コロンビア大学の学生時代は角田柳作(つのだ・りゅうさく)──キーン氏が「センセイ」と仰ぎ、あのE・H・ノーマンも師事した存在(ドナルド・キーン『日本との出会い』)──を恩師の一人に数える歴史家である(一一頁)。
戦後七〇年を迎えた二〇一五年、初めて邦訳出版された本書は、ハウズ氏の半世紀に及ぶ内村研究の結実である(原著は二〇〇五年刊行)。昨今、内村ないし〈無教会〉を巡っての意欲的な著作が眼を惹くが、本書の如く浩瀚な「内村伝」は内外に類を見ない。評伝の分野では、小原信『評伝内村鑑三』(中央公論社、一九七六年)、同『内村鑑三の生涯──日本的キリスト教の創造』(PHP研究所、一九九七年)、鈴木範久『内村鑑三の人と思想』(岩波書店、二〇一二年)以来の実りとして、今後、内村をひもとく者の座右の書となることは間違いない。
この大著に寄せて、内村研究の泰斗・鈴木氏はこう述べている。いわく「私どもの容易にまねできないと感じた点は、内村を温かく理解しつつ冷静な姿勢の保持である」(同「日本語版に添えて」)と。この評言はハウズ氏の、「教師兼著述家としての内村の精神的放浪の旅を研究・紹介する」(二一頁)との闡明(せんめい)に呼応する。氏の筆致は教派とその神学から自由であり、エリクソン『青年ルター』に培われた眼をもって人間・内村の自問を捉え、その深奥に入りこむ。歴史家らしく各々の言動を、それが紡ぎ出された具体的な〈場〉において立体的に解き明かそうとする。かくして紙上に屹立するのは「大日本帝国」として造形された「近代日本」と対峙する、一人の〈知識人〉とその問題圏の軌跡にほかならない。従来様々な視角から、ある「熱度」を帯びて描かれてきた内村の相貌は、本書を貫く「冷静な姿勢」を光源とすることで、新たな光彩を発揮するであろう。
巻頭でハウズ氏は、亡妻リンほか深津文雄、波多野和夫、中沢洽樹(こうき)、小沢三郎、品川力(つとむ)に感謝を献げている。ここでは如上の献辞が問いかける、本書の持つもう一つの意義にも触れておきたい。深津は上富坂教会牧師で、無教会の中沢洽樹共々、日本聖書学研究所最初期の主事を務めたほか、春をひさいで生きざるを得なかった哀しき女性の真の〈問題〉に、寄り添い続けた人でもあった(深津『いと小さく貧しき者に』)。波多野和夫は、波多野精一の弟にして海軍中将・波多野貞夫を父に持つ日本思想史研究者である。兄同様、貞夫も篤実なキリスト者で、結核の羽仁説子を平塚の自宅で療養させる一面を持っていた。森五郎(後の羽仁五郎。三谷隆正義兄)をはじめ羽仁を巡る人々は、波多野の家に近しいものであったろう(『波多野精一全集』六巻、羽仁『妻のこころ』)。かような家庭に育った波多野和夫は、仏教系の愛知学院大で教えつつ、日本プロテスタント史研究会(原著にGakkaiとあるが正しくは研究会)に主導的にかかわった(日本プロテスタント史研究会編『日本プロテスタント史の諸問題』)。一九五〇年四月より富士見町教会の一室で、毎月第一土曜に開かれた例会には、織田作之助らと交流のあった古書店主にして、『内村鑑三研究文献目録』作者の品川力も出席し(品川『本豪落第横丁』)、研究報告は会長の小沢三郎ほか、家永三郎(日本史)、宮田登(民俗学)らも行うなど、自由で学際的な気風が満ちていた。その意味でこの本は、近代日本のキリスト者達が織り成した、リベラルで清冽な知的コミュニティからの「後世への最大遺物」でもあるのだ。
満洲事変勃発から八十五年の本年、本書タイトルに託されたハウズ氏畢生の志と併せ、その遺産を厳粛に受け止めたい。
(むらまつ・すすむ=聖学院大学人文学部日本文化学科教員)
『本のひろば』(2016年5月号)より
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