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内容詳細

「アガペー」というギリシア語の意味を明らかにし、独自の視点に立って新約聖書を新しく読み直す。アガペーで一貫したイエス像に従う、新たなキリスト者の在り方を探る意欲作。

「違いがなくなったら、尊び愛す」のではなく、「尊び愛せば、違いはなくなる」のである。「敵でなくなったら、尊び愛す」のでなく、「尊び愛せば、敵でなくなる」のである。……世界中が一致して一色であるものを尊び愛すことは或る意味では貧困である。そうではなく、多彩な世界を尊び愛すことこそが真に豊かであろう。(本文より)

 

《著者紹介》
遠藤 徹(えんどう・とおる) 1938年生まれ。東京大学大学院博士課程哲学専攻修了。山口大学教授、聖心女子大学教授、同大学キリスト教文化研究所所長などを歴任。現在、山口大学名誉教授、聖心女子大学キリスト教文化研究所所員。 著書に『人格と性─結婚以前の性の倫理』(聖公会出版、2000年)ほか。

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書評

キリスト教の「愛」を捉えなおす

 山本芳久

 「あなた方は敵を尊び愛し(アガパオー)なさい」。イエスの有名な言葉に対する著者のこの訳文を正確に理解することができれば、『〈尊びの愛〉としてのアガペー』の中で著者が伝えようとしたことの本質を正確に理解することができたと言い切っても間違いではないだろう。

 キリスト教は「愛の宗教」と言われる。この場合の「愛」とは、古代ギリシア語の「アガペー」の翻訳だ。冒頭のイエスの言葉を「愛」という語を用いて訳すと、「あなた方は敵を愛しなさい」となる。この「愛しなさい」を、「好きになれ」とか「親しめ」という意味に解すると、「絶対に履行不能な無意味な命令」(二五頁)になってしまう。好きかどうかということは、自然発生的な感情の流れによることであって、命令されてできることではないからだ。

 他方、「あなた方は敵を尊び愛しなさい」と訳せばニュアンスは随分変わる。「「尊ぶ」という言葉には、もともと「愛す」という言葉にあるような、癒着的な関係がない」(四七頁)からである。我々は、主義主張が異なっていたり利害関係が対立していて敵対関係にある者であっても、相手の人格をそれ自体として尊び、その立場を尊重して接することができる。また、敵が人間として適切ではない状態に立ち至ってしまっている場合に、その人のことを好きになることはできないとしても、その人が人間であるかぎり元来有しているはずのより人間らしい在り方へと立ち戻り成熟していく可能性を信じ、相手を見捨てずに尊びの念を持って接し続けていくことはできる。「「愛す」は敵対関係──これはもちろん両極に遠ざかる関係である──にある者に全く馴染まないのに対して、「尊ぶ」は敵対関係にある者の中にも敢えて入り込んで行く可能性がある」(四七頁)のだ。

 時代を遡れば、キリシタン時代の宣教師は、「カリタス」(「アガペー」のラテン語訳)を「愛」と訳すことはせずに、「御大切」と訳した。「愛」という日本語には、「欲望にとらわれて執着すること」を意味する「愛著(あいじゃく)」というようなネガティブなニュアンスがつきまとっていたからだ。

 著者は、「大切」という訳の優れた点を認めつつも、「尊び」という新たな訳語を提案する。「大切」という語の場合には、「私にとって大切だ」というように、「必ず或る主体にとって大切なのであり、人格や物そのものが持っている性質ではなく、主体との関係で当の人格や物に存在するようになる性質」(四八頁)が問題になっている。他方、「「尊い」は或る人格ないし物そのものにおいて成立する性格」(同)という側面が強く、神と人間、そして人間同士が互いに相手をそれ自体としてかけがえのないものと見なし交流する側面を強調するのにより適切だからだ。あらゆる「尊び」には愛が含まれているはずだから、「尊び」だけでも充分だが、「尊び」だけだと「愛」という語に含まれている「優しさ」というニュアンスを伝えきれず、「和らいだ柔らかい気持ち」(五六頁)を表現しきれない可能性があるので、「尊びの愛」と訳すというのが著者の提案だ。この提案が訳語としてどこまで受容されていくかは未知数だが、キリスト教的な愛の内実を日本語で今後考察していくさいに基盤となる極めて示唆的な観点を提示したものと評価できる。

 本書においては、ウォーフィールドによる先行研究に対する詳細で批判的な分析や、キッテル『新約聖書神学辞典』における「アガペー」「エロース」 「フィリア」(いずれも「愛」を意味するギリシア語)などの項目の訳文が提示されるなど、読者各人が独自の研究を進めていくための基礎的な資料も豊かに提供されている。また著作の後半では、聖書の様々な物語を取り上げながら、「尊びの愛」と訳すからこそ見えてくる聖書の真意が分かりやすく分析されている。日本語でキリスト教的な「愛」の本質を探究していくための必読書の一つと言って間違いない。

 (やまもと・よしひさ=東京大学大学院総合文化研究科准教授)

 『本のひろば』(2016年4月号)より