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内容詳細

日々の暮らしの中で何を、どのように祈ったらよいのでしょうか?
ご好評いただいた『礼拝の祈り』の著者が長年の牧会経験に基づいて著した、神さまを「賛美」するための手引き書! 31日分の祈りと折々の祈りを収録。受洗者、求道者へのプレゼントとしても最適です。

どうか、神が罪と背きと過ちの多いあなたを愛していることを知ってください。神はあなたが祈り始めることを、首を長くして待っておられるに違いありません。あなたにとって最も良い時に祈ってください。(本文より)

【目次】
はじめに
1 祈りについて
2 三一日の祈りの例文
3 折々の祈り
 洗礼を受けたときに
 私に聖霊を注ぎ、信仰を成長させてください
 礼拝に行けない人の祈り
 高校生になりました
 子が与えられました
 入院したとき
 入院中の友を見舞ったとき  
 母が召天したとき  
 人生に行き詰まったとき
 私はだまされ苦しみました
 急激な社会の変化について行けません
 私は歳をとりました
あとがき

【著者紹介】
鈴木崇巨(すずき・たかひろ)
1942 年生まれ。東京神学大学、米国南部メソジスト大学神学部などで学ぶ。日本基督教団東舞鶴教会、田浦教会、銀座教会、頌栄教会などで牧会。
著書に『牧師の仕事』『礼拝の祈り』(教文館)、『求道者伝道テキスト』(地引網出版)ほか。

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書評

新しい言葉で神に語りかける

吉村和雄

 祈りは、信仰者にとって不可欠のものです。よく、み言葉は霊的な食べ物であり、祈りは呼吸であると言われます。呼吸しなければ人は死んでしまいます。祈りがなければ、信仰生活は死んだものです。それ故に、祈りの生活をどのように作り上げていくか、祈りの言葉をどのように整えていくか、それはわたしたち信仰者にとって極めて重要な問題です。

 しかしながらこういうことは、信仰者であれば誰でも知っていることで、改めて言われるまでもないことです。誰もが祈りの重要性を知っています。知っていながら、つい祈ることを怠ってしまい、それが数日に渡り、数週間に及ぶことがあるのです。そのことに心を痛めながら、そこから抜け出す道を見出せないでいる人も少なくないでしょう。祈りの生活においてこそ、何らかの手引きが必要なのです。

 祈りは二番目の言葉です。特に日本人にとって、このことを弁えていることは重要です。多くの日本人は、自分の中に「祈り心」というものがあって、そこから発せられる言葉が祈りだと、無意識の内に考えています。ですから祈ることがあっても、それが誰に向かって祈る祈りなのかを厳しく問いません。祈りの根拠が自分の中にあるからです。

 しかし、わたしたちの祈りは、そのようなものではありません。祈りの根拠は、それを聞いてくださる方にあります。誰も聞いていない祈りは、ただのひとり言です。そしてわたしたちの神は、祈りを聞いてくださるだけではなく、それを求めてくださるのです。マタイによる福音書の第六章で、主イエスが弟子たちに祈りを教えてくださった時に、主は「神」という言葉をお用いになりませんでした。すべて「あなたの父」「あなたがたの父」と言い換えておられます。神が父としての心をもって、わたしたちの祈りを待っておられることこそが、わたしたちの祈りの根拠であることを、お示しになったのです。

 ですから鈴木崇巨牧師が書かれたこの本において、「聖書から教えられる神を中心にした祈りを考えて書かれて」(三頁)いると、最初に明らかにされていることは、重要です。さらに、人間は自分を中心に祈るので、祈願の祈りが中心になりがちだ、という言葉も、わたしたちの祈りの問題点を言い当てています。そのような祈りを続けているので、同じような祈りの繰り返しになり、また特別な願いがなければ、祈りを怠ることになるのです。だからこそ本書においては「あなたが自分の両親に語るように、なんのてらいもなく、自由に神に話しかけることを、神は待っておられます」(八頁)と言われるのです。神を父として、もっと自由に、豊かな語りかけをすることによって、神の子としてのわたしたちの姿勢も、また確かなものになるのです。

 本書においては著者の祈りの言葉が、手引きとして多く紹介されています。幼い子どもが、親から言葉を学ぶと同時に、兄や姉からも言葉を学んでいくように、信仰の先達から、祈りの言葉を学ぶことも重要です。新しい言葉で語りかけた時に、天の父との間に新しい関係が生まれるからです。わたしたちは旧約聖書の詩編を「祈りの学校」と呼び、その言葉から多くのことを学ぶのですが、それとは別に、同じ時代に同じ国で生きる著者の祈りの言葉から学ぶことも、少なくないでしょう。

 手引きの最後に、祈りにおける父なる神とキリストの関係について著者は、キリストを「お父さんの膝の上にいる子供」(一〇頁)と言い表し、わたしたちの祈りは一体となった両者に向けられると言います。一歩踏み込んだ表現だと感じました。神の右におられて、わたしたちの祈りを執り成してくださる方としてキリストを描いてもよかったのでは、と思いますが、そういうことを承知した上での発言であるかも知れません。

 (よしむら・かずお=単立・キリスト品川教会牧)

 『本のひろば』(2016年3月号)より