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内容詳細
戦後日本のキリスト教教育はどのようなものだったのか。中篇では、同志社大学で教会や地域社会で、人びとの悲しみと対峙し、「いかに生きるべきか」を問い続ける日々を取り上げる。そこから、深い感動を伴って神の恵みに生かされる道に到達した同志社大学時代をイラストとともに回想する。
著者紹介
塩野和夫(しおの・かずお)
1952年生まれ。同志社大学経済学部卒業。同大学大学院神学研究科後期課程修了、神学博士。日本基督教団大津教会、宇和島信愛教会、伊予吉田教会、西宮キリスト教センター教会牧師を経て、現在、西南学院大学国際文化学部教授。
著書 『禁教国日本の報道』(雄松堂出版)、『近代化する九州を生きたキリスト教』(教文館)ほか多数。
書評
青年時代の出会いを回想する
伊原幹治
著者は西南学院大学国際文化学部に勤務する日本キリスト教史の研究者である。この本は、『キリスト教教育と私 前篇』の続篇で、同志社香里高校卒業後、同大学経済学部へと進んだ著者の大学時代四年間の出来事を描いている。構成は、年代を追って書かれた第一章〜第八章と、その折々に書かれた一一の「附録」とに分けられている。それにしても既に大学生の頃から微細な点にまで丹念に記録する姿勢があった事に驚く。著者からは折に触れて、抜き刷り(西南学院大学『国際文化論集』)を頂いていたが、本になって改めて通読して、ひとりの若者にとって、偶然であっても、それらの出会いが彼の人生に彩りを与える重要な意味を持っている事に気付かされる。人間とは、このようにして育てられるのだ。
描かれている場所が京都を中心にしているが、その方面の地理に不案内な者に、数カ所に地図が描かれ、様々な場面で撮られた写真が添えられている。また、著者自身が描き、「へたくそな絵」(一〇頁)と友人に評されたという二一枚の挿絵が配され、「言葉では表現しきれない何か」(同)を付け加える効果を与えている。
著者は一九五二年の生まれである。私とほぼ同時期に大学時代を過ごしている。人生で高校から大学にかけての時代が持つ意味の大きさは特別なものである。また、一九六〇年代後半から七〇年代初めにかけては、「大学紛争」(これに関わった者は、「大学闘争」と呼ぶ)が高揚し、やがて活動が挫折していった政治の時代であった。激しく揺れ動いたこの時代に、こういう形で自己形成を行った青春があったことを知り、それを鏡にして、自分はこの時に何を考え、何をしていたのかを改めて思い起こさせてくれるものとなっている。
これは自叙風に描かれた、多くの人との出会いを通して成長する一人の若者の物語である。人生の節目となった多くの人との出会いが興味深く描かれている。特に、加茂大橋の下で生活するホームレスの「おっちゃん」との出会いと別れのエピソードが印象深い。大学一年の通学途中に鴨川の河原で生活しているホームレスから突然話しかけられた事がきっかけであった。その後、「『(学校に)急いでいる朝に、見たくないものに出会ってしまった!』と思った瞬間、その人に注がれている誰かの視線を感じた。誰かとは……主イエスである。『主イエスが見つめておられる!』」(三六頁)と、青年は思ったのである。そう思った瞬間に青年はそこから逃れられなくなった。こうして、塩野青年はこの「おっちゃん」にパンを届けるようになった。その後いくつかのエピソードがあるものの、出会いが唐突に始まったものなら、別れもまた唐突であった。ある日、京都市役所によって強制退去させられ住まいは撤去された。「おっちゃん」の姿はその日以来、彼の前から消えたのである。
更に、建築現場でのアルバイトで四〇代のひとりのおっちゃんから「お兄ちゃんは大学生や。大学を卒業したら、どんなことをしようと考えているんや?」と問われた塩野青年は、「……いろいろな人を見ていると、その人たちが救われて人間らしく生きることができるように、そのための勉強をもっとしたいと思っている……」と答える。すると、間を置かずに「そら、そうやろな! 僕らのためにもがんばってえな! 応援しているで!!」と励まされた(七九─八一、一九四頁)。また、被差別の地域に住んで早朝鴨川の河原で祈り賛美する塩野青年に、「お兄ちゃん、寒いやろ。あたっていきいな」と声をかけてくれた「おばさん」に、天使を見たという(八、一六四、二一四─二一五頁)。
このような出会いのひとつひとつがかけがえのない記憶となり、一人の青年の成長を促したのである。著者が出会ったこれらの一人ひとりは、『靴屋のマルチン』でトルストイが描いたイエス様に重なるように感じるのは私だけではないだろう。
(いはら・かんじ=前西南学院中学校・高等学校長、西南学院大学非常勤講師)
『本のひろば』(2016年2月号)より