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内容詳細
カルヴァンの教会論はいかに形成されていったのか?
彼が生涯を賭けて取り組んだ教会形成のヴィジョンは何か?
16世紀の時代的・地域的状況と原典資料を丹念に繙きながら、カルヴァンの教会論の深化と展開を読み解いた画期的な書。初期の「公同的教会論」から「改革派教会論」への発展、そして預言者的・終末論的な「宗教改革教会論」へと至る軌跡を辿る。
【目次】
まえがき
凡例
序論
第一章 学的形成と公同的教会論
第一節 学的形成
1 初期フランス宗教改革
2 パリ大学期
3 法学専修期
4 王立教授団受講と『セネカ「寛容論」註解』
第二節 「突然の回心」からバーゼル亡命へ
1 「突然の回心」
2 コップ講演とその後
3 『魂の目覚め』
4 バーゼル亡命
第三節 初版『キリスト教綱要』執筆と公同的教会論の形成
1 聖礼典論──「分断されたキリストの体」
2 公同的教会論の基本
3 公同的教会論の弁証
4 「終章」としての国王への「献辞」
結語
第二章 初期ジュネーヴ宗教改革と公同的教会論の実践
第一節 ファレルにおけるルフェーヴル主義と福音主義
1 ルフェーヴル主義
2 モー改革から福音主義へ
3 ファレルの『総括』の教会論的分析
第二節 ジュネーヴ教会三文書の教会論的分析
1 『教理問答』
2 『信仰告白』
3 『教会規定』
第三節 公同的教会論の実践
1 カロリ論争
2 『二書簡』
結語
第三章 シュトラスブルク期と新教会論に向けての転換
第一節 ブツァーのシュトラスブルク
1 初期ブツァーの教会論
2 『シュトラスブルク教会規定』と後期ブツァー
第二節 ブツァーとカルヴァン
1 「ブツァーの影響」説をめぐって
2 カルヴァンの聖書主義と実践主義
3 フランス、ジュネーヴ、神聖ローマ帝国
第三節 第二版『キリスト教綱要』と『ローマ書註解』
1 第二版『キリスト教綱要』
2 初版『ローマ書註解』
結語
第四章 改革派教会論と宗教改革教会論
第一節 ジュネーヴとヨーロッパ世界の宗教改革者
1 ジュネーヴ宗教改革
2 フランスとヨーロッパの宗教改革
第二節 改革派教会論
1 第三版『キリスト教綱要』──「教会の真実な形」
2 『第一コリント書註解』──改革派教会論の実践
第三節 宗教改革教会論
1 『詩編註解』──救済史における「貴賓席」と「十字架の下」の教会
2 最終版『キリスト教綱要』──宗教改革教会の「正当な形」
結語
あとがき
索引
主要参考文献一覧
《著者紹介》
丸山忠孝(まるやま・ただたか)
1939年生まれ。東京学芸大学、東京基督神学校、米国カベナント神学校、ウェストミンスター神学校、イェール大学、プリンストン神学校、スイス・ジュネーヴ大学などで学ぶ。東京基督神学校校長、東京基督教大学学長などを歴任。
著書 The Ecclesiology of Theodore Beza(Geneva: Librairie Droz, 1978)、『キリスト教会2000年──世紀別に見る教会史』(いのちのことば社、1985年)、『日本人キリスト者からキリスト者日本人へ』(いのちのことば社、1997年)、『敬虔に威厳をもって』(共著、いのちのことば社、2000年)ほか。 訳書 テオドール・ド・ベザ「為政者の臣下に対する権利」、『宗教改革著作集10 カルヴァンとその周辺』(教文館、1993年)所収。
書評
カルヴァンの教会論の深化と展開を読み解く
出村 彰
かねて企画中の『宗教改革著作集10 カルヴァンとその周辺II』(教文館)に本邦未紹介のベザを収載すべく、東久留米の丸山宅を訪ね、快諾を得たのは何年前のことだったろうか。幸いカルヴァンIIは予定どおり一九九三年に刊行を見た。
それから以後、丸山氏は現・東京基督教大学を立ち上げ、構成員すべてがキリスト者で、今では大学院後期課程まで備えた教育機関にまで拡充するのに多忙で、専門のカルヴァン研究にまではなかなか手が及ばないだろう、などと憶測した愚昧さを、本書を手にして評者は深く恥じるほかない。あえて付言すれば、別著『キリスト教会2000年』(いのちのことば社、一九八五年)は、世紀ごとにぶつ切りにする独自の手法で、実は、評者も『総説 キリスト教史1』(日本キリスト教団出版局、二〇〇七年)の中世キリスト教史でそのひそみに倣ってみたが、賛否両論で、歴史記述の難しさを感じたものだった。
長い「沈黙」を吹き飛ばすかのごとく、本文・四〇〇頁、注・一〇〇頁の大著としてこの度出版されたのが本書である。しかも、副題として「教理史研究」とある。かつては、各神学校のカリキュラムでも、歴史分野は大まかに教会史と教理史とに大別されていたものだが、評者自身としては、この種の区分に早くから疑問を抱かせられていた。カルヴァン研究についてだけ言っても、ここ数世代の趨勢は顕著な「神学離れ」(二四頁)で、これまで未知の手写稿の発見・解読・公刊、ひいては『宗教改革者全集』の更改にまで及んでいる。そこからは、いわばかつては剝製だったカルヴァン像が、「活け造り」へと大きく変えられた。その貢献の大きさについては言うまでもない。しかし、著者はそのカルヴァンが懐き、育て、実現を目指した教会のあるべき姿を、しかもここ半世紀以上の主要なカルヴァン研究文献との対決をとおして、本書において描きだそうとする。渾身の力作と呼ぶにふさわしいだろう。
全体は四つに分けられる。その意味では、カルヴァンの個人史を史学的に追うことにもなるだろう。「学的形成と公同的教会論」、「初期ジュネーヴ宗教改革と公同的教会論の実践」、「シュトラスブルク期と新教会論に向けての転換」、最後に「改革派教会論と宗教改革教会論」がそれである。無論、本稿のような短文ですべてに言及する不可能性は言うまでもないので、ここでは評者自身の半世紀前の、ある意味では近接した主題の著作との対比によって、評者の不明と今に至る学的怠惰を恥じる形で、本書から学ぶことの大きさの例示としたい。
例えば、一五三六年から僅か三年足らずの第一回ジュネーヴ在任期間、その間に産み出された三文書(邦訳『信仰の手引き』、全市民が表明を求められた『信仰告白』、および『教会規定』)、その執筆者、ことに先覚者ファレルの貢献度などについてである。著者は『信仰の手引き』は既刊の初版『キリスト教綱要』の圧縮版としてカルヴァン執筆を認めるが、残りはむしろファレルへの依存を主張する。そうなれば、いかに初期段階であろうと教会の統治機構の鍵としての長老制(最終的には四重職制)の導入提唱はどうなるのか。評者は旧著で、その萌芽をつい直前まで在住したバーゼルと、その指導者エコランパーディウスからこうむった影響を強調しようとしたが、それ以後のファレル研究の伸展、一次資料の公刊などは予測すべくもなかったは当然である。いわんや、さらにその先に再洗礼派の「触媒的」影響を持ち出すごときは論外となる。学問の世界の常としても、評者の旧著は完全に乗り越えられた、と容認せざるをえない。逆に、シュトラスブルク時代の重視は、「ジュネーヴに戻ったカルヴァンは別人だった」という言い方の受容とも連なる。
評者がもっとも衝撃を受けたのは、邦訳もある『綱要』初版から、最終版に至るまでの改訂版、第三版の精緻な対比によって、最終版のように篇・章・節構成にまでは至っていないとしても、第三版における改訂加筆の重要性の強調である。類書が皆無ではないとしても、原資料の入手難、いわんやその解読力を思えば、著者の次の貢献がこの方面に向けられても不思議ではない。評者の切願とでも言おうか。
半世紀を越える学的蓄積を一挙に吐き出したごとき本書の著者、および出版社の刊行実務担当者に謝意と敬意を表したい。併せて、著者自身が本来目指した改革派教会、さらには宗教改革全体の教会論という本丸へはおろか、外堀さえも渡渉できないでしまったこの粗稿をご寛恕願いたい。
最後に一言すれば、評者の再読、三読あるいは四読の途中で、幾度も注に戻ろうと試みたが、その度にかなりの手間と時間とを必要とした。各頁下部にでも、本文との関わりを指示する方法はなかったのだろうか、「ないものねだり」でなければよいが。
(でむら・あきら=東北学院大学名誉教授)
『本のひろば』(2016年3月号)より