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内容詳細

信仰を実践する生き方を情熱的に語る!

● パレスチナ以外の地にあるキリスト者に宛てたヤコブの手紙。人間の行為の重要性を説き、様々な勧告によって構成されるこの手紙は何を伝えようとしたのか? 最新の学問的成果を踏まえた手堅い翻訳と明快な解説によってその特徴を明らかにする。
● オランダの改革派の伝統に立つ、教職だけでなく信徒にも使いやすい、穏健・堅実な聖書注解。既刊19冊も好評発売中!

[訳者紹介]
登家勝也(とか・かつや)
1953年日本キリスト教神学専門学校卒。現在、日本キリスト教会横浜長老教会牧師。著書に『ハイデルベルク教理問答講解』(Ⅰ・Ⅱ、教文館)、訳書にH. ミュルデル著『コンパクト聖書注解 ルカによる福音書』(Ⅰ・Ⅱ、教文館)ほか多数。
西田隆義(にしだ・たかよし)
1955年日本キリスト教神学専門学校卒。中学と高校の講師(数学・英語)を経て、行政書士・社会保険労務士・宅地建物取引業の事務所を開業。訳書にM. J. ミュルデル著『コンパクト聖書注解 雅歌』(教文館)がある。2010年逝去。

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書評

信仰に生きる者に生の方向性を示す
 
久野 牧
 
 本聖書注解シリーズは、本書も入れて既に二一巻が発刊されています。訳者の一人の登家勝也牧師は、その中の半数以上の翻訳に携わられ、本シリーズに精通しておられます。もう一人の訳者であられる西田隆義氏は、故人となられましたが、『雅歌』の訳者です。とても歯切れの良い訳文です。
 本書の「序論」は三六頁にわたり、全体の約五分の一を占めています。まず何よりもこの序論を丁寧に読まれることをお奨めします。それによって本書を貫く神学が何であるかが明らかになるだけでなく、『ヤコブの手紙』そのものを読むときの大きな助けになるに違いありません。この手紙を理解する上で大切なことは、手紙の執筆者が、この牧会的手紙を書いた意図が何であるかを知ることです。著者の理解は明確です。「このような手紙の内容と記述はキリスト教総目録である必要はないということであろう。普遍的キリスト信仰は前提されている」(九頁)。それは「結び」において再び語られます。手紙の執筆者は「神について、キリスト論について、あるいは救済論、つまり和解、義認、赦しについて」(一七二頁)教えようとしているのではありません。それらを信仰や神学の前提としてしっかりと理解した上で、個別の問題に向けて、この手紙を書いているのです。
 ということは、この手紙を読むことが求められている渦中の人々が、教会に実際に存在していたということになります。それはいかなる人々なのでしょうか。この手紙は、ひとりの人の手による一通の統一ある書簡であると考えるとき、読者に関しても、統一ある像が浮かんでくることになります。この手紙では、「どこでも同じ人たちが語りかけられている」(三五頁)のです。その人々とは、「彼の信仰告白は彼自身の生活と一致していない。彼の生活は自分の信仰告白と一致していない」(三五頁)というほかない人たちです。そのような信仰には、場がなく、生活がなく、体がありません。そうした人々を著者は〈霊知派〉と呼んでいます。この「手紙の全体が霊知派的傾向のキリスト者たちに対する使徒的警告」(三九頁)としての性格を帯びているのです。その点を踏まえておくことが大事です。
 その人々の頭は信じ、口は告白しています。しかし人間にとってのもう一つの重要な生の主体である身体は、彼が信じ告白しているのとは異なる道を行っています。つまりその人の内に分裂があるのです。その人々の信仰は、知的理解のレベルにとどまり、信仰に体が伴っていない、信仰が現実に生きられていないのです。そうしたことに対する指摘や警告がこの手紙に鋭く記されていることに関して、訳者の登家牧師は次のように述べておられます。「霊知派と日本のキリスト者は違うのですが、似たような頽落を指摘されているように思い、刺激的でした」(訳者あとがき)。評者もその点において、全く同感です。
 ヤコブの手紙のルターによる(低い)評価は、良く知られています。それに関して著者は、二九頁以下において丁寧に対話している、という感じがします。そしてこの手紙が、パウロの神学に決して矛盾するものではないことを主張することによって、ルターの批判を乗り越えようとしています。手紙の執筆者は、律法をよく知っており、主イエスの教えの核心を弁えており、パウロの中心的教えとされる〈信仰義認〉についても十分に理解しています。著者は、この手紙の多くの語句の背後に、パウロの言葉があることを指摘していますし、パウロの言葉への暗示があることも読み取っています。それによって、パウロとヤコブの内的つながりを指示しています。それゆえ、この手紙は「いわばパウロの注解書である」(八三頁)とさえ大胆に言うことができるのです。ヤコブの手紙は、信仰に生きる者に関する人間論の書であると指摘する本書に導かれながら、改めてこの手紙を読むとき、信仰に生きる「わたし」がいかにあるべきかの自己吟味が迫られるとともに、生の方向性が示されるでしょう。
 
(ひさの・のぞむ=日本キリスト教会函館相生教会牧師)
 
『本のひろば』(2015年8月号)より