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内容詳細

私たちは誰に、何を、どのように伝えればよいのか?

四国・北陸・東京で40年以上にわたり堅実な伝道・牧会をしてきた著者が贈る渾身の「日本伝道論」全3巻。伝道途上国・日本における新しい宣教学の構築を目指した革新的な論考。牧師と信徒が共に学び、語り、祈り合うための最良の手引き。第1巻では、福音伝道をめぐる現代日本の宗教的状況を考察する。

【推薦のことば】

召命に強いられた著作
近藤勝彦(東京神学大学名誉教授)

上田光正牧師が『日本の伝道を考える』全3巻を執筆されたことは、壮挙にして快挙である。彼は、四国・北陸・東京と40年以上にわたり、神学的に姿勢を正しつつ、伝道に地道に邁進してこられた牧師である。この牧師にしてこの著作ありと言いたい。派手な思いつきや意表を突いた文章ではなく、伝道の召命に強いられたこの堅実な著作から、伝道至難なこの国において同じ召命に献身する人は必ずよきものを学び得ると思う。

【目次】

刊行にあたって
はじめに
第1章 世俗化の時代は乗り越えられるのか
第1節 世俗化とは何か
1 近代に入り、世界は世俗化・宗教離れの時代を迎えた
2 日本社会もまた、同じ時代を迎えている
3 「後・近代」と呼ばれる現代とはどのような時代か
第2節 神学的考察
1 宗教とは、人々が天を想うベクトルのことである
2 神学的思惟の第一公理について
3 神学的思惟の第二公理(受肉の公理)について
4 ルネッサンスと宗教改革
5 個人の確立について
第3節 福音と日本伝道の将来
1 神の救いの歴史(救済史)について
2 福音が語り直されるためには「内的エクソダス」が必要である
3 日本伝道の将来について
第2章 日本の教会はどのような道を目指して歩むべきか
第1節 日本宗教史の中のキリスト教
1 日本宗教史の文脈の中で
2 キリスト者となることと日本人であることの矛盾
第2節 日本人と国家神道的なもの
1 寛容と不寛容の両面性
2 ガラパゴス島的現象
3 宗派神道の秘匿性
4 国家神道の秘匿性
5 「日本教」なるものは存在するか
6 日本国の平和のために祈る必要性
第3節 初期ローマ帝国内のキリスト教会はどのような道を選んだか
1 初期ローマ帝国内の教会の状況
2 聖なる公同の教会を目指す歩み
3 教会はどのようにして帝国に勝利したのか
4 教会の歩みは周囲に「勝利」の印象を与えた
第4節 韓国のキリスト教はなぜ栄えたか
1 韓国の教会と日本の教会との異同
2 いわゆる「三パーセントのライン」について
3 教会が韓国に根付いたさまざまな理由について
4 韓国にキリスト教が根づいた主要な理由
5 本章のまとめ
第3章 日本仏教との対質
第1節 キリスト教から見た仏教の教えの概観
1 一切皆空の教理
2 悟りと行の関係
第2節 一キリスト者から見た仏教の教えに関する根本的な問い
1 人間の死の問題は悟りによって克服できるか
2 仏教が日本人の魂に教えたものは何か
3 神仏習合による堕落
第3節 日本仏教とキリスト教の対質
1 人間とは何か
2 幸福とは何か
3 救いとは何か
4 どのように生きるべきか
第4節 本章のまとめ

【著者紹介】

上田光正(うえだ・みつまさ)
1942年、東京生まれ。1966年、東京神学大学大学院修士課程修了。1968年、東京大学大学院修士課程修了(哲学)。1968─1973年、ドイツ留学。神学博士号取得(組織神学)。帰国後、日本基督教団安芸教会、若草教会、美竹教会を経て、現在曳舟教会牧師。
著書 『カール・バルトの人間論』(日本基督教団出版局、1975年)、『聖書論』(日本基督教団出版局、1992年)ほか。

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書評

どうすれば日本にキリスト教は根付くのか?
 
小島誠志

 「刊行にあたって」の中にこの著作の結論が出されています。それはこうです。「『歴史を顧み、その中から前進の方途を考える』の『前進の方途』に関しましては、わたしが永年、そして本シリーズでも繰り返し主張していることの一つは、宗教改革の三大原則の一つである『万人祭司』......という、今やほとんど忘れかけてきたこの宗教改革の原則に立ち帰り、信徒が真に自覚的に立ち上がり、教会形成と伝道の『主人公』となることです」。その結論を念頭に置きつつ、この日本という地盤で克服すべき問題の所在を明らかにしつつ福音の前進の方途を探っていこうという試みです。論述は著者の五十年にわたる伝道者牧会者の経験に裏付けられており、適確でしかも動かし難い重さをもっています。
 本書は日本伝道論を構想した壮大な三巻に及ぶ著作の第一巻、「序論的な部分」(はじめに)にあたるものであります。日本伝道論は無数にありますが本書は徹底的に神学的に考え抜かれたものとしての著者の自負があります。「日本といういわゆる『伝道途上国』での伝道を組織神学的に基礎から考えるという意味では、あるいは新しい試みであると言えるかもしれません」(「刊行にあたって」より)。「日本人の宗教性とキリスト教」、論述は三つの章によって進められています。
 第1章 世俗化の時代は乗り越えられるのか
 世俗化の定義がなされ、世俗化ということへの神学的考察が行われています。世界規模における世俗化は端的に「進歩の信仰」でありそこから「宗教多元主義」が生じているというのです。宗教多元主義を克服するものとして「天を想うべクトル」としてのキリスト教信仰があると論を展開します。
 第2章 日本の教会はどのような道を目指して歩むべきか
 この章では「『キリスト者となること』と『日本人であること』とが、日本ではしばしば矛盾・拮抗の関係になりやすいという問題......について」取り上げられます。
 ザビエル以来のカトリック信仰の一時的な成功とその後の政治とのあつれき、迫害の歴史、明治初期のプロテスタント伝道の進展と内村鑑三不敬事件に象徴される国家との緊張関係、そこにあった問題の所在を明らかにするために、たとえばイザヤ・ベンダサンの「日本教」論などを引照しつつ論を進めます。
 キリスト教信仰と日本人の問題は「神仏習合」にあるのではないかと言うのが著者の考え方のようです。「『神仏習合』とは、もともと日本に存在していた神道を後から来た仏教が完全には追い払わずに自らの内に採り入れ、宗教混淆(シンクレティズム)を起こしたことを言います」。
 しかし、その上で、明治政府によって造り上げられた「国家神道」がキリスト教への大きな圧力となります。国家神道は教義を持つ明らかな宗教でありながら宗教を超えるものとされ、「単に『日本人であること』の国民的義務であるという『秘匿性』の様相の下に強権的に発動されます」。
 こうした状況の中で、福音の「土着化や日本化は、日本を軽蔑することと同様、大変危険なことです。もしわたしたちが、神が愛し給うこの日本社会とそこに住む同胞たちを真に愛するなら、必要なことは、いったん日本社会を出て神に『献身』する『内的エクソダス』であると考えます」。
 以下、初期ローマ帝国内でのキリスト教会の歩み、韓国キリスト教の発展について言及されます。
 第3章 日本仏教との対質
 仏教の主たる宗派の教え(哲理)を紹介しながらキリスト教の立場から問いを提出します。「仏教的哲理を悟り、その悟りを行ずる『行』によって、本当に『生老病死』の苦しみから救われるのだろうか」。
 深い洞察による明快な宗教的日本人論、その間に著者のよって立つ教会の神学がくさびのように、要所要所に打ち込まれ輝いています。
 
(おじま・せいし=日本基督教団久万教会牧師)
 
『本のひろば』(2015年9月号)より