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内容詳細

 名も知れぬユダヤ教の一分派にすぎなかったキリスト教はなぜ地中海世界で勢力を伸ばすことができたのか?その背景には、古代世界の高等教育の要であった「哲学」の存在が助け手としてあった。本書では、古代末期までのギリシア哲学がキリスト教思想・教理に及ぼした変革的な影響を、教父学の第一人者が平易な言葉で体系的に解説する。

 

[目次より]

第1章 その起源からソクラテスまで/ 第2章 ソクラテスと「イデア」/ 第3章 成熟期のプラトン哲学/ 第4章 アリストテレス/ 第5章 エピクロスとストア派/ 第6章 中期プラトン主義とアレクサンドリアのフィロン/ 第7章 古代末期の哲学/ 第8章 キリスト教哲学についての論争/ 第9章 ギリシア的神理解とヘブライ的神理解/ 第10章 神の存在の証明/ 第11章 単一で不変的存在としての神/ 第12章 神をどのように形容するか/ 第13章 ロゴスと霊/ 第14章 本質の統一性/ 第15章 本質と位格/ 第16章 キリスト――神であり人/ 第17章 統合された二つの本性/ 第18章 哲学・信仰・知識/ 第19章 自由と善/ ほか

 

◆著者紹介

C.スティッド(Stead)  1913年生まれ。イギリスの教父学者。1938年英国教会司祭に叙任。元英国学士院正会員。2008年逝去。

 ◆訳者紹介

関川泰寛(せきかわ・やすひろ)  東京神学大学教授、日本キリスト教団大森めぐみ教会牧師。

田中従子(たなか・よりこ)  日本キリスト教団伊東教会牧師、東京神学大学博士課程後期在学中。

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書評

読み応えのある古代キリスト教思想の概説書!

土井健司

 クリストファー・スティッドの『古代キリスト教と哲学』が出版された。まずは訳者の関川泰寛氏と田中従子氏の労を大いにねぎらいたい。大きな本ではないが、訳を作るのはなかなかむずかしい書だと思う。

 スティッドは、分析哲学全盛時代のケンブリッジに哲学を学んだ経歴をもつ教父研究者である。その一端は神の「在る」をめぐる一五五頁以下の議論に垣間見られる。分析哲学において徹底した訓練を受けたスティッドの目に教父の思想はどのように映るのか。有体に言うと、哲学の名に値しないのである。自律した理性、厳密な論理、概念の精確さ、このような観点からすると教父の使う概念や議論は多義的で曖昧であって、およそ哲学的ではないという。そのためスティッドはキッパリと教父の思想を「哲学」と呼ぶことを拒否する。「「キリスト教哲学」と呼ばれるものの大体は、結局、哲学からの助けを借りて組織化されたキリスト教神学なのである」(一〇七頁)。これがスティッドの結論となる。この点評者は「哲学」をスティッドのように捉えるなら頷くところもあるが、歴史的にヘレニズム期以降の「哲学」の捉え方は現代とは異なり、たとえば人間の生と深く関わるものであったこと、また現代においても「神」の思索について哲学的に評価する余地はあると思う。

 とはいえ、だからと言ってスティッドは決して教父を蔑ろにしようとしているのではない。彼らを神学者として評価するのである。哲学の概念、論理を使って神学思想をどのように展開しようとしたのか、これが本書の明らかにしようとするところである。

 三部から成る本書は、第一部でギリシア哲学が概観され(第一章から第七章)、第二部では「キリスト教神学における哲学」のタイトルの下に古代キリスト教思想史が扱われる(第八章から第一七章)。そして最後第三部においてスティッドが唯一哲学者と認めるアウグスティヌスの思想が論じられる(第一八章から第一九章)。

 第二部は、ロゴス論や三位一体論など古典的な神論を中心に議論が進み、おおよそキリスト教思想史の流れに沿ってトピックが選ばれている。哲学的な主題となるのは神論だからであろう。教父の思想と哲学を扱う第八章に続き、ギリシアとヘブライ的神理解、神の存在を扱う存在論証、そして神の一性と不変性、以上がそれぞれ独立した章として論じられる。第一二章ではナジアンゾスのグレゴリオスの言葉を手掛かりに、神が霊、火、光等などと形容される、様々な議論が整理される。さらにロゴス論、本質の問題、三一論、受肉論、キリスト論と進む。

 訳文の流麗さも伴って、スティッドの議論は明快、明瞭である。たとえばヒュポスタシスの議論では、二世紀や三世紀等の古代におけるその用法が見事に整理されていて頷かされる。ウーシアやヒュポスタシスというと、ふつうはアリストテレスや古ストア派などは参照するが、それ以降の哲学文献はとても複雑で新プラトン派を除くとほとんど手をだそうと思わない。しかしスティッドは実に多くの古代の文献を渉猟し、詳細に用例を研究していて、当時の可能的な意味をすべて列挙し、その意味を確定しようとする(二一六頁以下)。具体的に言うなら、ヒュポスタシスの意味は大きく三つに分かれるという。(1)底に溜まる物、尿。(2)下に隠されているもの、待ち伏せ。(3)支えとして下に立つもの、建築の土台。さらにこの第三の意味が多様に展開すると述べ、挙げられるのは、a抵抗、b資産、c約束、d事業、e希望、f設計図、g星の配置図、以上となる。これらに歴史的視点を加えて三一論におけるヒュポスタシスの意味を解明していくのである。このような哲学史に通暁した学者の手による説明は見事であり、私自身、納得するところが多かった。なお、訳文は読みやすく優れたものではあるが、ときに疑問に思う訳語も見られた。たとえば一四〇頁のregula fideiは「信仰の法則」であろうか。

 古代キリスト教思想を探求する者の一人として、哲学史の知識に富んだ著者による、読み応えのある古代キリスト教思想の概説書の出版を祝したい。

(どい・けんじ=関西学院大学神学部教員)

『本のひろば』(2016年1月号)より