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内容詳細

教会の理想とする社会のあり方が、初めて実現された中世。
国家と教会が融合し、統一的な文化を形成した〈中世カトリシズム〉の理想と、
中世を代表する神学者トマス・アクィナスの不朽の意義を説く。
『古代キリスト教の社会教説』の刊行から15年、ついに続編登場!

◆目次より◆
第1節 問題
第2節 中世の統一文化のための萌芽
第3節 領邦教会時代並びに霊的なるものと世俗的なるものとの相互浸透
第4節 普遍教会主義からの反撃とカトリシズム的統一文化
第5節 中世生活の組織における禁欲の意義
第6節 実際的社会的生活様式の教会理想への相対的接近
第7節 教会の統一文化をトマス倫理において理論的に解明する
第8節 トマス主義の原理による中世の社会哲学
第9節 絶対的神の法と自然法、そしてセクト

 ◆著訳者紹介◆

著者:エルンスト・トレルチ(Ernst Troeltsch, 1865-1923)
ハイデルベルク大学の組織神学教授、後にベルリン大学の哲学教授。
教会史の社会学的考察に取り組み、M.ヴェーバーとの折衝から本書『社会教説』を完成させる。
主著:『キリスト教の絶対性と宗教史』(1902年、邦訳『現代キリスト教思想叢書2』森田雄三郎・高野晃兆訳、白水社、1974年所収)

訳者:高野晃兆(たかの・てるよし)
1935年生まれ。59年京都大学文学部哲学科卒業。64年同大学院文学研究科博士課程単位取得退学。
京都大学文学博士。現在、大阪府立工業高等専門学校名誉教授。
訳書:E.トレルチ『古代キリスト教の社会教説』(共訳、教文館、1999)他。

 

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書評

神学・宗教哲学と歴史学・社会学の橋渡しをなす
 
山本芳久

 エルンスト・トレルチ(一八六五―一九二三)は、神学、宗教哲学から歴史学、社会学までを架橋する領域横断的な仕事を成し遂げた偉大な学者である。我が国においては、全一〇巻に及ぶ『トレルチ著作集』(ヨルダン社)が夙(つと)に刊行されていたものの、主著である『キリスト教諸教会および諸教派の社会教説』(一九一一年)に関しては、その第一章が『古代キリスト教の社会教説』(教文館、一九九九年)として翻訳されるだけに留まっていた。今回、その第二章が『中世キリスト教の社会教説』として翻訳刊行されたことは、トレルチ研究の観点からのみではなく、神学・歴史学・社会学などの周辺諸領域への波及効果という意味においても、大変喜ばしいことである。
 本書の大半は、中世スコラ哲学の大成者であるトマス・アクィナス(一二二五頃―一二七四)の社会理論の分析に割かれている。その分析の中軸となっているのは、「自然法」概念である。トマスの社会理論を考察するさいに自然法概念に着目することは、極めて正統的(オーソドックス)な方法論であるが、トレルチの議論の独自性は、トマスに代表される伝統的な自然法論には存在しない「絶対的自然法」と「相対的自然法」との区別の導入のうちに見出される。
 「絶対的自然法」とは、人間一人一人と社会全体との調和に満ちた発展を可能にさせる「神」と「人間理性」という普遍的な原理のことである。だが、アダムの堕罪によって楽園から追放された罪深い人間には、そのような理想的な規範に完全に従いながら生き抜いていくことはできない。しかし、だからといって、無秩序な現実を現状肯定的に追認するに留まるわけにもいかない。そこで妥協として生まれてきたのが「相対的自然法」である。人間の弱さや悪辣さを前提にしつつも、強制力を有する権力秩序によって担保された実定的な法規範によって罪を抑制しながら、より人間らしい可能性を開花させていくことを可能にする根拠となる原理、 それが「相対的自然法」である。中世の社会理論は、このような仕方で、イエスの教えの中に見出されるラディカルな神愛・隣人愛の理想と、不完全なこの世に生きる弱さに満ちた具体的な人間の在り方とを統合する観点を提示することができたのである。
 「絶対的自然法」と「相対的自然法」との区別がトマス自身のテクストからは正当化することが困難である点をはじめ、トレルチの議論のうちには、そのままでは受け入れることのできない点も多々ある。だが、キリスト教神学における救済史的な人間観を、特殊キリスト教的な文脈から自立させて、より普遍的な社会哲学的洞察として定式化する試みは、社会哲学の一理論としても、文献学的研究に留まりがちなスコラ哲学に対する挑戦的な解釈の実験という点でも、大変刺激的なものとなっている。
 実は、さほど知られていない事実であるが、本書は、我が国におけるスコラ哲学研究にとって、極めて重要な意義を有している。我が国の中世哲学研究の開拓者である岩下壮一神父(一八八九─一九四〇)は、もともとアウグスティヌスを中心とした教父研究に関心を有しており、中世スコラ哲学にはさほど魅力を感じていなかった。その岩下が、欧米留学中に、トレルチと深い交流のあったフォン・ヒューゲルから『社会教説』を薦められて読み、「トレルチは私をスコラ哲学と和解させる端緒となった」と述べているのである(「私の敬慕する先生」)。本書は、我が国の中世哲学研究の隠された原点でもあるのだ。
 この書物は、トレルチの時代よりも遙かに諸学の細分化が進んだ現代においてこそ、読まれるべき意義を有している。神学や宗教哲学に関心のある読者は、歴史学的・社会学的な思考方法には触れたことがないことが多く、歴史学や社会学に関心のある読者にとって中世スコラ哲学やキリスト教神学は馴染みのないものであることが多い。そうした状況のなかで、トレルチのこの書物は、読者の多様な関心に応えつつ、読み進めるにつれて、それまでさほど関心を抱いていなかった他の学問領域へも読者の関心を自ずと広げていく力を有している。このような魅力を有する本書の刊行を祝すとともに、続いて、『社会教説』第三章の翻訳刊行が実現していくことを期待したい。
 
(やまもと・よしひさ=東京大学准教授)
 
『本のひろば』(2015年7月号)より