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内容詳細

日露戦争終結から満州事変までの四半世紀は、帝国主義とデモクラシー思想が進展する近代日本の転換期であった。韓国の植民地化、吉野作造の民本主義、内村鑑三らの再臨運動という三つの論点を中軸に、大正期の日本キリスト教史の展開を分析し、100年後の現代に通ずる洞察を提示する。   【目次】

巻頭言(大西晴樹)

序 章 植民地化・デモクラシー・再臨運動(岡部一興)

第Ⅰ部 植民地化

第一章 植民地化とキリスト教(徐 正敏) 第二章 日本の宗教政策と植民地化の特殊性(原 誠)

第Ⅱ部 デモクラシー

第一章 吉野作造とキリスト教(吉馴明子) 第二章 吉野作造の民本主義(鈴木美南子)

第Ⅲ部 再臨運動

第一章 内村鑑三と再臨運動(原島 正) 第二章 再臨運動と南原繁(今高義也)

公開講演 20世紀初葉の日本基督教会と明治学院(大西晴樹)

あとがき(原島 正)

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書評

二つの時代の狭間にあるキリスト教

田代和久

 本書は二〇一三年九月明治学院大学で開催されたキリスト教史学会第六四回公開シンポジウムを書籍化したものである。限られた紙幅の中で個々の論稿の論評は無理であり、テーマに関わる若干の感想を述べるに止めたい。
 フロアーから「三つのテーマである植民地化、デモクラシー、再臨運動の関連性」が見えないという指摘がなされているが、書評子を含め一読する誰もが抱く感想であろう。
 つまり大正期キリスト教と三つのテーマが内的・有機的に結びついているかという疑問である。同時代史的感覚からすればむしろ明治キリスト教の歴史的展開として捉えることが適当ではないかということである。大正期をカバーするから大正期に固有のキリスト教の歴史像ということにはならない。
 それは一九一二年二月二五日の「三教会同」に至る日露戦後のキリスト教会の動向をどう捉えるか、という問題である。
 「三教会同」を前に有力教派教会は、日露戦後の独立意識の高揚を背景に関係外国ミッションとの協力関係を清算し、組織の強化・整備を自給独立という形で実現させた。日本人教職者の主導によるキリスト教会を内外に宣言したのである。外国ミッションの教会から日本国民の教会という社会的認知がなされる中で、キリスト教会は「三教会同」に招聘されたのである。そこでは「皇運を扶翼し国民道徳の振興」と「政治宗教及教育の間を融和し、国運の伸長に資せられんこと」が神道、仏教に加えてキリスト教に求められたのである。キリスト教会では一部のものを除き、大勢はこれまで外国ミッションの教会という猜疑心故の疎外感に苛まれた状況が日本古来の宗教と相並んで認知されたとして歓迎された。
 問題はキリスト教が「皇運を扶翼」することに期待されたものは何であるかということである。それは国家神道としての天皇信仰の本質に関わることでもある。日本の思想文化の文脈では天皇という存在はいかなるものであろうか。先ず第一に天皇は記紀神代巻による「神孫為君」であり、第二に道徳の根源として「有徳者為君」であり、第三に全き仏者として「十善君主」であった。第一が神道に第三が仏教に支えられた。第二は「三教会同」には純粋宗教の埒外ということで招聘されなかった儒教であるが、儒教は「還俗宗教」(小崎弘道)として「教育勅語」を通じて天皇の道徳的権威付け、神格化に動員された。つまり「三教会同」を通じてキリスト教に要請された最大の眼目は天皇を神とする天皇信仰を支える陣営への参加である。そこには明らかにキリスト教会を天皇信仰へ包摂させようとする強い国家意思が窺える。それは結果として、キリスト教会の観念としての天皇制への限りなき「すり寄り」以外のなにものではなかった。
 これを機に、キリスト教会は植民地伝道を志向するもの、教会信徒を督励して信仰共同体として強固な教会の構築を図る立場、あるいは教育や出版を通じて伝道の実を上げようとするエスタブリッシュとしての教派教会と、再臨運動に典型化される宗教的熱情運動を主導するマイノリティに二分化される。まさに「三教会同」は幕末・明治期を通じて展開されたキリスト教活動の到達点であった。昭和期に入り、その観念性を脱ぎ捨て具体的に「天皇かキリスト教の神か」という決断を迫られる中で、明治キリスト教のエスタブリッシュの選択が大正期を狭間に昭和期に当該教派教会ではなく宗教的熱情を貫く小会派に犠牲を強いたのである。
 最後にテーマを貫く立場について、フロアーからの同時代の歴史状況の指摘は当然として、キリスト教に焦点を絞れば、「神の主権」、「恩寵のディアレクティク」の立場から人間所産の全てを、つまり文化全体を神学の対象とする「高倉神学」を視野に入れることで明治と昭和という二つの時代の狭間にある大正期のキリスト教の諸相と特質が明らかになるのでは、という印象を持った。

(たしろ・かずひさ=日本聖書神学校講師)

『本のひろば』(2015年3月号)より