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内容詳細

「私たちは、神のいのちの光の中で、ありのままを生きるのです──」

FEBCで好評を博した詩編講話17篇と、鎌倉雪ノ下教会での説教10篇を収録。罪と闇に覆われる人間を新しく立ち上がらせる、神の恵みの真実を伝える。復活の主の光に照らされて生きる、人間の自由と喜びがここに!

「苦難から救われた喜びではなく、苦難のなかでこそ知る主の恵み、それこそがこの説教者が語り続ける信仰の言葉の基本内容となる。それは今、その語る言葉もほとんど奪われている状況にあって、このひとを生かしている神の現実である。それはただ、罪のなかでうずくまっていた自分を立たせてくださった、主イエス・キリストの罪の赦しの恵みの現実でしかない。その主イエス・キリストを愛し尽くす言葉がここにある」(編者あとがきより)

【目次】

 まえがき(加藤常昭)

  第Ⅰ部 詩編講話

主が、新しい歌を……詩編第40篇1―18節
主は運命を支える方……詩編第16篇1―11節
喜びと共に朝が……詩編第30篇1―13節
救いの喜び……詩編第32篇1―11節
主の使いは陣を敷き……詩編第34篇1―23節
あなたの光に光を見る……詩編第36篇1―10節
み顔こそ私の救い……詩編第42(―43)篇1―12節
聖所における転回……詩編第73篇1―28節
主の庭を慕い……詩編第84篇1―13節
目覚めてみ顔を仰ぎ……詩編第17篇1―15節
幸いな人……詩編第1篇1―6節
わが神、わが救い……詩編第22篇1―32節
主はわが光、わが救い……詩編第27篇1―14節
主よ、憐れんでください……詩編第51篇1―14節
親しいのは暗闇のみ……詩編第88篇1―19節
望みの港……詩編第107篇17―32節
赦しはあなたのもとに……詩編第130篇1―8節

  第Ⅱ部 礼拝説教

わが恵み汝に足れり……詩篇第31篇1―14節、コリント人への第二の手紙第12章5―10節
神はわが味方……イザヤ書第54章1―10節、ローマ人への手紙第8章31―39節
柔和な心……箴言第15章1―5節、ガラテヤ人への手紙第6章1―5節
見よ、今は恵みの時……イザヤ書第49章1―13節、コリント人への第二の手紙第6章1―10節
詩と賛美と霊の歌を……詩篇第40篇1―3節、コロサイ人への手紙第3章12―17節
主の任命……エゼキエル書第2章1―7節、使徒行伝第26章1―18節
なお望みあり……哀歌第3章17―33節
互いに足を洗い合い……ヨハネによる福音書第13章1―16節
マリヤを覆う神の言葉……イザヤ書第9章1―17節、ルカによる福音書第1章26―38節
主のなされる新しいこと……イザヤ書第43章14―21節、ピリピ人への手紙第1章3―11節

 編者あとがき(加藤常昭)

 

【著者紹介】
加藤さゆり(かとう・さゆり)
1928年、山梨県甲府市に生まれる。旧姓は原。後に東京に移住、都立第十高等女学校(現豊島高校)を経て、1944年、東京女子大学経済科に入学、敗戦後、学校の感化もあり吉祥寺教会(竹森満佐一牧師)で求道、1946年12月に受洗した。大学卒業後、立教女学校社会科教師となったが、退職して日本社会事業専門学校(現日本社会事業大学)に入学、更に東京神学大学に編入学。1956年、同大学大学院修了。同じ教会員であり、同級生であった加藤常昭と結婚。日本基督教団若草教会(1956─1961)、牛込払方町教会(1961─1969)、鎌倉雪ノ下教会(1969─1997)の担任教師を務めた。引退後、国分寺市戸倉に居住。

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書評

神の救いの現実へと導き入れる説教

森島 豊

 私よりも先に本書を手にした妻は開口一番こう言った。「読みやすい。分かりやすい」。実際に手にとって読んでみると、自然と心の中に言葉が入ってくる。一見難しい旧約聖書の言葉も、自分のこととして聴くことができる。そして、説教を通して聖書を読みたくなる。本書のどこを開いても、加藤さゆり先生の優しさ、人柄、そして信仰が伝わってくる。
 本書は一人の女性伝道者・加藤さゆり先生の説教集である。これを編んだのは夫である神学者・加藤常昭先生である。素朴に聖書を語るその言葉が、驚くほど心に響く。さゆり先生は複雑なことは語っていない。ただ聖書の現実と聴衆の現実を率直に語っておられる。その聖書が証しする福音の力に引き込まれていくのである。
 「家庭的な声」(七頁)と評されたこともあるこの説教者の言葉は、牧会的な声(魂への配慮)として響いている。育児の苦労、人間関係で疲弊した心、厳しい闘病生活の孤独、その全ての心に寄り添っておられるのが分かる。回りくどい言い回しなどしていない。聴き手の現実にスッと入ってくる。教会に生きる人と共に過ごし、よく話を聴き、惜しむことのない愛の労苦の中から紡ぎだされた言葉であることがよく分かる。まるで母に語り掛けられているように素直に聴くことができる。
 けれども、説教者は闇の中に止まらない。私たちの知る罪の闇の世界から、キリストの現実へとすぐに引き込んでいく。その優しい人柄からは想像できないほど力強い言葉で語っている。しかも説教者の直感ではなく、聖書そのものを紹介している。人が経験する暗闇もキリストの現実も、すべて聖書の言葉を通して紹介しているので、安心して聴くことができるのである。
 また時に、雷のような鋭い言葉で目覚めさせる。「人間が生み出したものに、人間を救う力はないのです。神がなしてくださらなければ、人間の救いは成り立たないのです」(三三九頁)。どこを開いても、この説教者の揺らぐことのない神への信頼が感じられる。御言葉への確信を慰めの言葉として宣言している。聴き手は自然に聖書の信仰に心を合わせ、神へと導かれる。何よりもこの説教者自身が聖書の言葉に魅了されており、聖書の言葉を味わう喜びにこちらも招き入れられていく。
 中でも、病を抱えている者への共感を強く感じる。おそらく、ご自身が病の苦しみをよく知っておられたからだと思う(三、六〇頁)。病を負う聖書の詩人の経験を紹介しながら、詩人を生かした神の救いの現実へと導かれている。キリストの福音に生かされている説教者自身の信仰告白の言葉としても聴こえてくる。福音に生かされている伝道者の言葉を聴いて、慰められた人々がどんなにいたかと思う。
 女性伝道者であるが故の苦労も多かったと思う。けれども、その苦労を微塵も感じさせないしなやかさを感じる。受け取る人によっては失礼と思われる言葉をも、さゆり先生は柔軟に好意的に受け止めておられる(四―五頁、二一九―二二〇頁)。それは先生の性格だけではなく、そのように先生を生かしてきた福音の力によるものだと感じる。「柔和な心」という説教は必読である(二一六―二三六頁)。誰に対しても柔和な心そのもので接したさゆり先生のことがよく分かる説教である。
 本書からは、キリスト者の夫婦がこの地上での最後の日々をどのように過ごすのかについても深く教えられる。厳しい病床生活にあるさゆり先生を看取られている加藤常昭先生は、この人を生かし続け、今も生かしておられる神の現実に耳を傾けられた。そのキリストの愛の言葉は、ご自身だけでなく、多くの人の慰めの言葉として響くに違いないと確信しているのだと思う。
 私の妻は、心病む友人のために毎日一つ、さゆり先生の説教集から心に響く一節を送っている。本書には自然とそのように他者に贈りたい言葉があふれている。説教者にも信徒にも求道者にもぜひ勧めたい一書である。

(もりしま・ゆたか=青山学院大学准教授、大学宗教主任)

『本のひろば』(2014年10月号)より