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内容詳細

市場経済は人間を豊かにするか

今日までの市場競争は、高い経済成長を実現する一方で、所得格差の拡大、環境破壊、金融危機などを引き起こしてきた。果たして市場は「幸福」にどう影響するのか? 「正義」への配慮に役立つのか? 愛や寛容などの「徳」を促進するのか? 市場作用に関する最新の経済学的研究成果を提示しながら、聖書に基づく倫理観を読み解き、キリスト教信仰と経済の関連性を体系的に明らかにする野心的な試み!

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書評

市場経済の倫理的課題を聖書の文脈から読み解く

久世 了

 訳者によれば、著者J・J・フラーフラントはオランダのティルブルフ大学の経済学・経営学部教授である経済学者、神学者であり、「本書は、政治経済学のフロンティアとして位置づけられている」。
 ここでの政治経済学とは、英語でいえばPolitical Economyなのだが、これは広義の経済学の中でEconomicsとは区別される学問領域である。そもそも市場経済についての学問としての経済学が成立したのはアダム・スミスの『諸国民の富』(一七七六年)以来のことだが、そのスミスは道徳哲学の大学教授であった。当時、イギリスで市民革命によって公認されることになった市民的自由権の一つとしての私有財産権を基礎として、商品を自由に製造・販売して利益を得ようとする営みが活発になって行きつつあったが、この事態をどう評価するかは、道徳哲学上の大問題だった。というのは、市場での売買を通じて私的な利益を上げる営みを、利己心を動機としているがゆえに「卑しい」ものだとする考えがまだ根強く残っていたからである。これに対してスミスは、その利己的な活動が「見えざる手の働き」によって社会全体に「富の増進」という形で大きな善をもたらすことを立証して市場経済を肯定的にとらえるべきであることを主張したのであった。こうしたスミス流の市場経済についての学問が、政策的論議としての性格を持つゆえにPolitical Economyと呼ばれたのであった。ところがその後、スミスが試みた市場経済のメカニズムの解明という部分を数量的に厳密に追求しようとする研究が重ねられ、それがEconomicsと呼ばれて、今では経済学と言えばEconomicsがすべてであるかのように思う人が少なくない状態になってしまっている。
 しかし、われわれの生活の現実を考えれば、環境破壊など明らかに市場経済が生み出している様々な重要問題があり、したがって市場経済そのものが依然として道徳哲学(現代風に言えば社会倫理)上の大きな課題であり続けているのだが、しかしそのことはEconomicsではほとんど視野の外に置かれてしまっている。そこに現代に相応しいPolitical Economyが求められる理由があるのである。
 このように見てくると、「政治経済学のフロンティアとして位置づけられている」本書の存在意義がきわめて大きなものであることが理解されよう。著者フラーフラントは市民的自由の基礎としての私有財産権が必然的に生み出した市場経済そのものを根本的には肯定しつつ、大きく三つの視角から、旧・新約聖書の経済生活にかかわりのある教えを踏まえて、現代の市場経済の肯定されるべきところ、否定されるべきところを詳細に論ずる。
 第一には、経済的成果。Economicsの楽観的な主張に疑問を呈しつつ、雇用の確保という面から市場経済の成長には肯定的な判断を示す。この点では著者がケインズ経済学に親近感を抱いていることが感じられる。第二に正義という視点から、とくに貧富の格差について、完全平等主義はとらないが野放しの市場経済が生み出す大きな格差について、とくに国際取引の自由化は、国家間の格差を固定化あるいは更なる拡大をもたらす危険があることが指摘される。(この点はいま日本で問題のTPPについての判断に参考になろう。)第三の視角は「徳」すなわち市場経済に生きる人間のモラルの問題であり、あまりに厳しい市場競争が当事者に賄賂、虚偽広告といった不正への強い誘因をもたらし、社会全体を腐敗・堕落へと追いやる危険が少なくないことが警告される。
 そこで現実の市場経済に対して何らかの規制、介入が必要とされるのだが、それをもっぱら「大きな政府」に求めるのではなく、社会的な「対抗力」に期待するべきであることが示唆されるところに本書の独自の価値があるように思われる。
 このような著作が、キリスト教系大学のすべての学生に対する教養教育の教科書または重要参考文献として広く活用されることを強く望みたい。

(くぜ・さとる=明治学院大学名誉教授)

『本のひろば』(2014年8月号)より