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内容詳細

神はどこにおられるのか? 神をどのように知ることができるのか?

教派を越え、歴史を貫いて学ばれてきた「三要文」を通して、キリスト教信仰の基本を体得する。聖書の真理に学びながら、キリスト教信仰の精髄を学ぶ最良の手引き。

【目次】

はじめに
三要文

第1章 3つの文章を覚えよう

第Ⅰ部 使徒信条

第2章 いつものように信じて生きる
第3章 なぜ使徒信条と呼ばれるのか
第4章 私の信仰
第5章 大胆に告白する
第6章 信仰の生まれるところ
第7章 神への問い
第8章 神からの問い
第9章 天地の造り主
第10章 私を造られた神
第11章 神を父として
第12章 全能の父を信じる
第13章 神の独り子──神の見えるところ
第14章 イエスを主と呼び
第15章 イエスという名
第16章 なぜキリストと呼ぶのか
第17章 キリストを産んだ者
第18章 キリストを殺した者
第19章 私たちのための苦しみ
第20章 私たちのための十字架
第21章 私たちのための死
第22章 死者のなかへ
第23章 甦るキリスト
第24章 天に昇るキリスト
第25章 神と共に座するキリスト
第26章 主イエスと再び会う時
第27章 真理の霊
第28章 いのちの共同体
第29章 完全を目指す共同体
第30章 ひとを生かす絆
第31章 聖なる者、我らの交わり
第32章 罪赦されてこそ
第33章 からだまで救われて
第34章 キリストのいのちに生きる

第Ⅱ部 十 戒

第35章 第1の戒め
第36章 第2の戒め
第37章 第3の戒め
第38章 第4の戒め
第39章 第5の戒め
第40章 第6の戒め
第41章 第7の戒め
第42章 第8の戒め
第43章 第9の戒め
第44章 第10の戒め

第Ⅲ部 主の祈り

第45章 神を呼ぶ
第46章 み名の崇められることを
第47章 み国の来ることを
第48章 みこころの成ることを
第49章 我らの養いの糧を
第50章 我らの赦しを
第51章 こころみに勝つことを
第52章 栄光をほめたたえて

あとがき

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書評

福音の真理を知る喜びを伝える

古屋治雄

 本書は、『加藤常昭信仰講話』全七巻に収められている、『使徒信条・十戒・主の祈り』上下二巻(教文館、二〇〇〇年)が、『信仰への道』との新たな書名のもとに一巻にまとめられて刊行されたものである。本書はさかのぼると、放送伝道に取り組んでいる日本FEBCが、多数の信仰者のみならず求道者たちの声を聞き、またそこから「きちんとキリスト者の信仰の基本を語ってもらいたい」との願いを受けて、著者が一九八四年から「聖書をあなたに」という番組の中で説き明かしたもので、当初は録音テープ、CDで頒布されたものである。
 この度の版にはこれまでの導入に、さらに「はじめに」が加えられている。これまでの牧師として、そして神学教師としての様々な出会いと経験(特にルードルフ・ボーレン先生との出会いと経験)を著者は語りながら、三要文を「こころで学ぶこころの言葉」と表し、また「こころからこころへの言葉」と語っている。これまでに信仰問答や三要文をこのように表現する言い方は、教会の伝統の中で極めて希なことであろう。著者があえてこのように三要文を受けとめていることには、ルードルフ・ボーレンとの出会いが大きく影響していると思われる。そのような中で著者は述べている。

 ボーレン先生は、信仰の言葉を暗記することは、まさに自分自身以外のところから来る、「耐えられる力」をもたらす神の力に生かされるということであったの です。(中略)
 本書で私が説き進める言葉もまた、この暗記の勧めであり、暗記する言葉の豊かさを少しでもこころに刻もうとする言葉です。〈こころからここ ろへの言葉〉です。深く悲しみ、傷つき、病んだ、スイスの神学者、牧師であったボーレン先生が、それにまさる深い慰めを得、救いの確信を得、こころ癒やさ れた、こころの言葉がここにあります。じっくり読み始めてください(一四―一五頁)。

 本書を三要文の「解説書」と受けとめることは正しく読むことにならないだろう。著者は始めから「三つの文章を覚えよう」とも呼びかけ、「暗記しながら学ぶ」ことを推奨している。この姿勢は、三要文の言葉そのものへの信頼から生まれている姿勢であり、さらにそれは聖書そのものを信頼している姿勢と重なっている。
 すでに教会生活をしている信仰者にとって、このキリスト教信仰の根幹をなす三要文が信仰の土台となり、力となっているかというと、かたちのうえではそうであっても実際どのように内容を理解しているかは心許ないのではないか。教会生活にある者が、その「足腰を鍛えよう」とするとき、「大切なこと、それは教会員が、しっかりと教理を体得すること」であるが、著者は本書で、その根幹に、教理学的な知識や解説というよりも聖書そのものに対する信頼を土台として実際展開している。
 著者は長年説教塾を主宰し、現在に及んでいる。そして、説教者の営みをしばしば「聖書(に聴くこと)から説教へ」という言葉で語られることがあるが、著者はあえて「聖書から聖書へ」ではないか、と主張している。

 『ハイデルベルク信仰問答』やルターの説教などの助けも借りておりますが、何と言っても聖書の言葉をたくさん引用しました。使徒信条の言葉、それを説く言葉はいずれも聖書を根拠とし、絶えずそこに立ち帰ります(五八一頁)。

 「福音の真理を尋ねて聖書を読み、読み取った喜びの言葉を取り次ぐのは楽しい仕事です」と語る著者が、同様の喜びを味わえるように「読む方も楽しんでください」と呼びかけている。本書を通して「楽しく」三要文の言葉にふれることができるようになったことを改めて喜びたい。

(ふるや・はるお=日本基督教団福岡中部教会牧師)

『本のひろば』(2014年3月号)より