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内容詳細
本物のやさしさにはブレーキがない。
やさしさが暴走して本物が生まれる!
健康・医療、福祉、保育・育児などをテーマに〈社会貢献と企業の融合モデル〉となる会社を立ち上げた著者による、NPO活動などを通して知り合った「愛と正義の実践者」へのインタヴュー集。
*目次と登場人物*
●プロローグ 某日、村木厚子さんとランチタイムにて
・・・・・・・・・むらき・あつこさん(厚生労働省事務次官)
●藤井信吾さん 辛抱強き「おせっかい」
・・・・・・・・・ふじい・しんごさん(産婦人科医、国際婦人科がん学会代表)
●丸田俊彦さん 「違い」を受け容れる
・・・・・・・・・まるた・としひこさん(精神科医、サイコセラピー・プロセス研究所所長)
●北岡賢剛さん 「生っぽい楽しさ」がそこにある
・・・・・・・・・きたおか・けんごうさん(滋賀県社会福祉事業団理事長)
●木下 晋さん 「とんでもない母」と瞽女のハルさん
・・・・・・・・・きのした・すすむさん(美術家、金沢美術工芸大学大学院専任教授)
●末安民生さん 「助け合い」の奥底にあるもの
・・・・・・・・・すえやす・たみおさん(特例社団法人日本精神科看護技術協会会長)
●香川 敬さん やさしさは、人たる学びの深さが生む
・・・・・・・・・かがわ・けいさん(浄土真宗僧侶、全日本私立幼稚園連合会会長)
●エピローグ ボディブローのように効いてくる人たち
*著者・おかやま・けいこ*
三重県生まれ。朝日広告社の調査部でメディア研究を行い、1986年に女性が活躍できる社会を作るために株式会社朝日エルを設立。サスティナブル(持続可能な)社会づくりのための研究・啓発活動に力を注ぎ、そのためのマーケティング活動の支援や教育を行っている。
書評
世の中を変える力の源に迫る
朝日研一朗
うちの教会の役員が、ある教会を評して「スキのない教会ですよね」と、何気なく、その印象を語っていました。勿論、褒め言葉として仰ったのです。そして、私たちは、自分たちの教会を振り返り、「スキだらけだよな」と苦笑したものです。反省しきりでした。しかし、それからまた、しばらく時を置いてみると、余り「スキだらけ」も困るけど、「スキのない教会」というのも問題だと気付いたのでした。むしろ、教会というところはコミュニティ(共同体)ですから、少しくらいスキがあった方が良いのです。スキマがなければ、クリスマスの物語のように、「見知らぬ旅人」の「いる余地」「泊まる場所」がなくなってしまうでしょう。......という訳で、本書もまた「スキだらけの本」です。
「やさしさの暴走」......。そもそもタイトルからして、あちらこちらから違和感や反発が吹き出しそうです。この言葉は、巻頭に登場する村木厚子(厚労省事務次官)のエピソードから抽出されたものです。彼女が検察から「郵便不正事件」の濡れ衣を着せられた時、大勢の仲間たちが自らの立場や世間体など一顧だにせず、支援活動に邁進する様子を見て、当時一八歳だった村木の娘さんが「やさしさを行動に移す」パワーが「暴走機関車」みたいと、印象を書きとめた言葉から来ているのです。
しかし、「やさしさ」という曖昧模糊とした語だけでも心配になって来るのに、その「暴走」が始まるのですから困ってしまいます。黒澤×コンチャロフスキーか、はたまた『アンストッパブル』です。近年、原発の「核暴走」を経験したばかりでもあります。正直、戸惑うばかりです。
このテーマに沿って、その後、六名の人たちへのインタビューが始まりますが、これまた一筋縄では行かない人たちばかりで、お題を好き勝手に再解釈して、思わぬ方向に発展させていきます。藤井信吾(医師、婦人科がん学)は、自分の働きに当てはめて「おせっかい」「愛情による干渉」と言い換えます。丸田俊彦(精神科医)は、むしろ「やさしさ」の名の下に集団行動が起こる場合の危うさ、更に「おためごかし」を指摘します。北岡賢剛(障がい者福祉)は、自分が障がい児教育の勉強をしたのは"いい人"(「やさしい人」)になって、女の子にもてたかったからと言って笑います。
木下晋(画家)は、人間が自然に接する暮らしから離れて「暴走」を加速していることを警告します。末安民生(精神科看護)は、「好き嫌い」(人格との出会いみたいなもの)や「遊び」をキーワードとして提出します。香川敬(幼児教育)は仏教者らしく、「親子の宿縁」「とおくの宿縁」、「家業」としての覚悟などを説きます。
見事なまでに、その受け止め方がバラバラなのです。そして、このバラバラさの塩梅こそが、この本のミソなのです。驚くほどに多分野の人たちと交流のある著者が「この人の持つ力、世の中を変えていくほどの力は何だろう」と、特に注目した七人なのです。だから、テーマになっているのは「パワー」なのです。その「パワー」の源はどこから来ているのだろうと探っているのです。「やさしさの暴走」という語は、その一つの解釈に過ぎません。そもそも、これはリセプター(受容体)の出来ていない語なのです。因みに、私は、この書名を英訳したら、Love Rushes か Love-Rush かと思いましたが、それだと「女の子をナンパする」の意味になるかも知れません。
ここに出て来る人たちなら、たとえ「愛」というキリスト教用語を使っても、納得はしないでしょうし、そのまま自明のものとして受け取りはしないでしょう。きっと、それぞれが自分の働きと課題の中から、自分の物語として、新たに自分の言葉を紡ぎ直していくことでしょう。昔、唐十郎が芝居の中で、役者に「愛しています!」と言わせる代わりに、「お世話させてください!」と叫ばせていたように。
(あさひ・けんいちろう=日本基督教団行人坂教会牧師)
『本のひろば』(2014年3月号)より