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内容詳細
多様性を理解するためのアプローチ
諸伝承はどのようにして「聖典」になったのか? 旧約聖書のテキスト群を時代区分・類型によって文学的に特徴付け、成立過程と相互連関を解明する意欲的な試み。現代旧約学を代表する基礎文献として必読の研究!
書評
最新の研究に基づいた、大胆な枠組みによる究明
飯 謙
「文学史入門」の名の下で、旧約聖書学を包括的に叙述する新しい書物が出版された。著者のコンラート・シュミートは一九六五年生まれ。原著(二〇〇八年)の出版は四〇歳代前半ということになる。 訳者あとがき」で紹介されたウェブサイトから、彼がチューリヒやミュンヘンの神学部に学び、牧会に従事した後、チューリヒ大学の助手を経て一九九九年にハイデルベルク、二〇〇二年よりチューリヒ大学教授──という華やかな経歴を知らされた。業績は五書、預言者、諸書と旧約学の全領域に及び、著書・論文は膨大な数に上る。われわれには、この種の「概説書」は、研究歴を重ねた大家の仕事といった先入観がある。シュミートは、若いがすでにその域に足を踏み入れた、確実に明日の旧約学をリードする人物なのだと思えた。
いま述べた「先入観」の話を継ぐと、わが国旧約学の大家、関根正雄氏が同じような書名の本を出版しておられる(『旧約聖書文学史』上・下、岩波書店、一九七八、八〇年)。その中で氏は伝統的な緒論学、イスラエル史、旧約神学・思想史の有機的な連関性を、文献社会学の観点を取り入れて大胆に展開し、輝かしい成果をあげておられる。シュミートの取り組みは、近年の考古学的な情報や、それに基づく古代オリエント諸宗教の歴史、アナール学派以降の社会史など、一九八〇年代以降に一般化した認識を組み込んでいる。この書ではもはや(二〇世紀中葉までの研究史の記述を除けば)ヤハウィストもダビデ・ソロモン時代の栄華も語られない。いわゆる統一王国時代は、まだ文学的活動が開始される以前の状況にあったというのである(九三、一二一頁)。
そういうことで、かなり重厚な序論(旧約聖書文学史の課題、歴史、諸問題)に続く文学史部分は、 「アッシリア到来以前」とする時代設定から始まる。以下、アッシリア時代(前八―七世紀) 、バビロニア時代(前六世紀) 、ペルシア時代(前五―四世紀)、プトレマイオス朝時代(前三世紀)、セレウコス朝時代(前二世紀)として区分され、それぞれ一つの章を構成する。最終章は「聖典化と正典形成」という表題で、全体を締め括る。従来、古代イスラエル史でヘレニズム時代として括られることが多い二つの時期が、個別に厳格に論じられる点にも特徴を見ることができると思える。シュミートはこの区分によって、イスラエルの文学史を、古代オリエントの覇者による「文化圧力」(七九頁)の中で解釈するよう意図している。
各章の議論は「歴史的諸背景」、「神学史的特徴づけ」、「伝承諸領域」という同じ枠組みで進められる。シュミートはこれによって旧約テクストの原初形態を問い、その発展や受容と理解の究明を試み、一定の成功を収めている。たとえばアッシリア時代であれば、最初の「歴史的諸背景」は、単なる出来事の羅列ではない。当時の産業構造や交易、朝貢など社会の状況に触れ、北王国滅亡後に残されたユダが大国アッシリアによる文化的吸収という危機に直面しながらも、逆にアッシュルバニパルの書庫建設に感化されて、文学の創作振興や収集を課題とし、文学史における新たな段階を迎えたことが述べられる。神学史の面では、アッシリアの民族宗教との対決が初めてイスラエルの信仰を神学の形成に導いたことが強調される。旧約の著述家は神ではなく王と民を弾劾する。その中でモーセや士師伝承のような、王なき起源伝説を形成した。他方、南で王権を維持する側は王を寿ぎ、またその制度に固執する立場を鮮明にする。そしてアッシリアから強要された神観念を逆手に取る申命記主義的な理解も登場する。「伝承諸領域」では、具体的なテクストを掲げ、アッシリア文化の受容と転用を跡づけていく。
「訳者あとがき」にあるが、著者はこの書でかなりの造語を提示している。山我氏はそれを適切な邦語に置き換えて、また随所に気の利いた補足を配し、この書を数段分かりやすく仕上げてくれている。その労に心より謝意と賛辞を送りたい。
(いい・けん=神戸女学院大学学長)
『本のひろば』(2014年2月号)より