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内容詳細
明治国家の天皇制による統制に真正面から対抗し、独自の平和主義・民主主義に依拠して国体論や軍国主義を激烈に批判、また廃娼運動を主導するとともに婦人参政権の実現を訴えた木下尚江。国家権力からの自由を主張し、理想と情熱に燃えて社会の進歩に身を投じた彼の思想的闘争の軌跡を辿る。
【目次】
序 章 本研究の視角と課題
第一部 明治中期のキリスト教界と木下尚江
第一章 明治中期におけるキリスト者の「男女関係」論とその変遷
第二章 松本時代における木下尚江
第二部 明治後期のキリスト教界と国家
第三章 巌本善治の女子教育論
第四章 植村正久の「武士道」論
第五章 海老名弾正の「忠君敬神」思想
第三部 明治後期の木下尚江
第六章 木下尚江における「廃娼」の思想
第七章 明治期キリスト教界と木下尚江
第八章 木下尚江と日本基督教婦人矯風会
終 章 まとめと展望
書評
ツꀀ木下の社会改革思想はどこから来たのか?
山極圭司
米寿を迎えた今、本書を読む機会を得て、感慨様ざまだった。いろいろ新しいことも知り、考え、思い出し、懐しんだ。
戦争が終わって軍隊から帰り、大学を卒業、もう少し勉強しようと大学院に入った時、私が考えていた一つは、近代日本は何ものだったのか、ということだった。またアメリカとは何ものなのか、ということでもあった。マッカーサー元帥の支配が続いていたが、私たちの臨時の統治者はキリスト教徒の軍人だった。キリスト教とは、どういうものなのか。
私は「日本近代文学とキリスト教」というテーマをかかえて近代文学を読みはじめた。
昭和二五(一九五〇)年七月、笹渕友一著『北村透谷』(福村書店)が出て一読、感歎して笹渕先生をたずねた。先生は縁もなかった私を親切に指導して下さった。翌年の夏休み、先生に「木下尚江」について質問したのは、二、三冊の古い木下の著書を読んで興味を持ったからだったが、「私は何も知りません。しらべて教えてくれませんか」と先生は言って、その後、手にはいった関係の書を送って下さった。やがて私は、かなり夢中になって木下尚江を探索する学生になっていた。本郷の古本屋品川力さんなど、ありがたい協力者も現われた。『革命の序幕――木下尚江言論集』(創造社)を出したのは昭和三〇(一九五五)年二月だった。熱心有能な研究者が相ついで現われ、昭和四八(一九七三)年一二月には『木下尚江著作集』(明治文献)一五巻が完結、更に大事業『木下尚江全集』(教文館)二〇巻が平成一五(二〇〇三)年一二月に完結した。その頃はすでに木下研究者としての私の役割はほぼ終わっていた。
それから更に一〇年の月日が流れて、本書を手にした私は、読み通すのも骨が折れた。時間がかかった。しかしくり返し読んでいるうちに木下尚江がよみがえったのである。そして日本キリスト教界の指導者たちに関する様ざまなことも知った。たとえば武士道のこと。新渡戸稲造の『武士道』は、昔読んだ記憶があるが、植村正久、海老名弾正、大西祝らの武士道論は知らなかった。
また基督教婦人矯風会のこと。女性の政治的権利を求めた人びとのことと、それに対して内村鑑三が反対したことなど、興味をひく新知識をいろいろ与えられた。更に知りたいことも出てきた。多くの著名なキリスト教指導者たちと木下尚江との違いは明白だが、それはどこで、どうして、そうなったのか。
私は明治二(一八六九)年生まれの木下の場合、まず明治初期の学校体験が大きかったと思っているのだが、本書の著者の考えを知りたかった。
「禁酒主義ニ対スル妨害」という木下文がある。明治二五(一八九二)年一月、相馬愛蔵らの東穂高禁酒会に招かれて「禁酒主義の妨害」と題する一時間余の熱弁をふるった木下が、その後にまとめたもので、全集で一〇ページの長文で、またかなり難解な文章である。「第一章 宗教上の原因」から「第四章 風俗上の原因」まで、禁酒運動の前に立ちはだかる障害についての若い木下の見方、感じ方、そして当時の日本社会における酒害現象のあれこれもうかがえて興味深いが、本書では宗教上の原因として太古以来の「政教混合」の「神道教」をとりあげ、「社会のためにも皇室のためにも断然廃するべきだと」木下は主張した、と言い、木下の「禁酒主義」思想の要諦は、真の「政教分離」に基づく「宗教」改革を促すことにあったのだと断じている。
しかし「第一章 宗教上の原因」で述べられたのは、禁酒運動に従っている人の多くがキリスト教徒で、今の日本ではキリスト教の真性を知る人もまだ少ないから、とかく感情的な反発も生まれ、それが運動の妨害になっているので、目下の問題は宗教の異同ではないことを認識して、緊要な禁酒事業の研究に当るべきだ、ということだったのではないだろうか。
(やまぎわ・けいじ=元白百合女子大学教授)
『本のひろば』(2013年7月号〉より