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内容詳細

世界を揺るがした信仰!

教会制度や神学のみならず、政治・経済・文化の領域にまで影響を及ぼした宗教改革。ルターによる「95か条の提題」の提示をきっかけに始まったこの運動は、なぜ全ヨーロッパ社会をも巻き込むまでになっていったのだろうか? さまざまな立場の説教者を取り上げ、「信仰のみ」「聖書のみ」によって推進された宗教改革の核心に迫る!

 

[登場する説教者]

ルター/ カルヴァン/ ツヴィングリ/ エコランパーディウス/ ブツァー/ ノックス/ クランマー/ ラティマー/ ブラウン/ ミュンツァー/ メノ・シモンズ

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書評

説教を通して改革者たちの姿を浮き彫りにする!

村上みか

 本書は「シリーズ・世界の説教」の宗教改革篇である。一六世紀の宗教改革運動の中で生み出された説教が、ルターやカルヴァンらの宗教改革主流派からミュンツァーや再洗礼派などの急進派、さらに大陸を越えてスコットランド、イングランドに至るまで、多様な側面から紹介されている。

 導入部の「宗教改革時代の説教の特徴」にも記されているように、宗教改革は聖書を教会の中心に据え、その説き明かしとしての説教を重視する礼拝のあり方を打ち出した。そしてその説教のあり方は、ルターによれば「キリストの生涯と働きとを表面的に……単にある物語や年代記としてのみ説く」のではなく、また「人間の法や教えを説く」のでもなく、聴く者の「信仰が呼びさまされ、保たれるように」キリストを説き、「主は私になにをもたらし、お与えになったのか」を明らかにすべきものと理解された(三三頁)。すなわち、聴衆はもはや秘跡を受ける受動的な存在ではなく、彼ら一人一人の信仰と生に実りがもたらされるよう、聖書の言葉を語ることが強調されたのである。この基本的な態度は、ここに紹介されているいずれの説教にも当てはまり、積極的に人々の生に関わっていこうとする改革者たちの強い姿勢が感じられる。今日なお、そのまま魂に響いてくるものも少なくない。

 もっとも、その説教の内容は一様ではない。それぞれが聖書の言葉に拠りつつ、自らが置かれた状況の中で――すなわち改革期の混乱の中で新しい教会形成を行うというプロセスの中で――解釈を行い、その結果、多様な内容が示されることになる。たとえばルターやカルヴァンにおいては、いわゆる「宗教改革的神学」が説教の中に明確に表現されているのが見て取れる。罪の苦しみの中にある人間が、信仰によって義とされ、解放されること、そしてひとたび解放された人はこの福音に留まり、感謝と愛をもって自らの務めを十分に行うべきことが説かれる。とくにルターの場合、この福音に生きる新しいキリスト者の生がこの世と対立するものであることが強調され、キリスト者とは苦難の中を生き、それを誇るものであることが、力強く明快に語られる。一方、カルヴァンの場合、説教の内容が彼の体系化された神学と合致し、一つの説教が完結した神学内容を備えている。しかし、その論旨は明快で分かり易く、牧会的な配慮をもって語られている。ルターとカルヴァンにおいては、釈義と神学と説教のダイナミックな相互作用が感じられ、両者が優れた説教者であり、神学者であったことを改めて知ることになるだろう。

 他方、改革者たちは内面的信仰に関わるものだけでなく、教会や社会の問題についても説教の中で積極的に発言していった。ツヴィングリはスイスが傭兵制度をもって絶えず戦争に関わる状況を前にして、キリスト教的信仰をもって正義を愛し、平和を回復することを説いたし、ブツァーはドイツとスイスの福音主義教会が聖餐論において一致し、和解することを説いた。またミュンツァーは神秘主義と黙示文学的終末論の影響の下、選ばれた民がこの世の悪を滅ぼし、神の国到来に備えることを訴えた。さらに再洗礼派のメノ・シモンズは、真の教会は悔い改めを経て洗礼を受けた者から成るものとし、幼児洗礼により社会の構成員すべてを教会員とする国教会のあり方を批判した。同様にイングランドの分離派の祖とされるロバート・ブラウンは、国教会から分かれて徹底した教会改革を行うことを主張した。いずれも人々に決断を迫る論争的説教である。

 ルターによれば「真の霊的説教者」とは、人々に気に入られようと耳触りの良い甘い説教を行う「偽りの説教者」と異なり、罪と苦しみの中で悔い改め、罪から解放されることを説くものであり、この福音ゆえにこの世と対立する(八七―九一頁)。そのため説教には勇気と聖霊が不可欠とされるのであるが、ここに挙げられた改革者たちの説教には、まさにこの姿勢が一貫して感じられる。論争しつつ、新たな信仰と教会のあり方を求めて、困難な現実に関わっていった改革者たちの姿が、その説教を通じて浮かび上がってくるのである。

 ただ本書の構成を見ると圧倒的にルターとカルヴァンの説教が多く、ほかの改革者たち、特に急進派のそれが少ない。後世への影響力や教化文学としての機能を考えるならば、それも一つの可能性かもしれないが、宗教改革全体を知る上では、正統派とされる側に偏った選択であるように思われる。伝統を重んじすぎることは宗教改革者たちがまさに否定したところである。また構成に歴史的な視点が反映されておらず、カルヴァンの後にツヴィングリが来ているのには違和感を感じるし、ミュンツァーやメノ・シモンズがロバート・ブラウンの後に来ているのも歴史的、地理的に不自然である。定式化された宗教改革理解が、新たな研究の成果によって修正される必要をも感じた。

(むらかみ・みか=東北学院大学文学部教授)

『本のひろば』(2013年7月号)より