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内容詳細
青山学院第二代院長、日本メソヂスト教会初代監督として、
草創期の日本キリスト教界を牽引した本多庸一の
信仰と生涯を浮き彫りにする!
〈目次と読みどころ〉
◆第1部 「本多庸一」(氣賀健生著)◆
「平和の人」「国士」「慈父」と慕われ、敬愛された本多庸一の生涯を、39点の写真とともに描く評伝。昭和43年刊『本多庸一』(非売品)を没後100周年にあわせて改訂!
◆第2部 本多庸一説教ほか◆
●「Ⅰ 説教」、「Ⅱ 監督公書・演説ほか」・・・本多自身の言葉を伝える、説教11本、監督公書・演説8本を掲載。「私の回心」(My own conversion)は初めての邦訳
●「Ⅲ 同時代人の本多庸一追想」・・・植村正久、内村鑑三、山路愛山ら、5人による追想を収録。
●「Ⅳ 本多庸一の書」・・・書をよくした本多。彼の作品を、書き下し文と解説を添えて、34点掲載。
●「Ⅴ 年譜」
◆著者・編者◆
著者:氣賀健生(青山学院大学名誉教授)
編集委員:嶋田順好(青山学院宗教部長)/梅津順一(青山学院大学総合文化政策学部教授)/佐々木竜太(青山学院大学教育人間科学化助教)/傳農和子・中村早苗(青山学院資料センター)
書評
評伝と第一次史料から多角的に描く
棚村重行
本書は、旧日本メソジスト教会の監督・牧師で青山学院の第二代院長でもあった「本多庸一(よういつ)召天百周年記念の事業の一環」として、編集委員会が約一年余りにおよぶ作業の結果、二〇一二年十一月に刊行を見た著作である(「あとがき」)。これにより、名誉教授氣賀健生氏の旧著『本多庸一』の待望の改訂版が再びリリースされただけではない。バロック古楽器演奏に喩えれば、同学院の宗教部長嶋田順好氏が編集上のコンサート・マスター役をつとめ、他の教授陣、資料センターのスタッフ等学院内外関係者の献身的な競演もあいまって、「本多庸一 信仰と生涯」という主題の骨太で豊饒な響きのチェロ協奏曲演奏を聴くような楽しみが味わえるようになった。
より具体的に言えば、先ずは、若い世代の読者を考慮し、楽譜に当たる氣賀氏の旧版伝記を句読点の付加や現代仮名遣いの導入をして極力読みやすいように編集されている(「第一部」)。次に、本多自身の説教、講演、論文のみならず、同時代人の本多評、本多の筆になる書の図版集といった第一級の一次史料が厳選され収録されている(「第二部」)。これにより読者は本多の生涯や時代について伝記や最後の「年譜」を頼りに歴史の文脈(コンテクスト)を学び、ドラマチックに本多や同時代人の「肉声」(テクスト)に聴くことができるようになった。
だが最も重要なことは、いわば作曲家兼チェロ奏者、氣賀氏自身の手になる改訂版は、氏の特技である三つの奏法により表現された本多に関する秀逸な歴史的評伝だということである。第一に、氣賀氏は「歴史は足で書く」(斉藤孝氏)という諺が示す第一次史料の収集に執念を賭けた正真正銘のプロの歴史家である。氏のこの執念は、改訂版の叙述と詳細な裏付けの注からも見て取れる。第二に、「史料をして語らしめる」氣賀氏の叙述の巧みさが随所に存在する。例えば明治四十年晩夏に彼の愛児鐘七が病没したさい、本多はこう日記に記した、「療治は後れたり。されど彼〔鐘七〕は主の懐に生長すべし。天父と同じ経験を嘗むるは光栄なり(以下略)」(本書二二〇頁)。読む者に、試練に耐える父・信仰者本多の姿をリリックなまでに彷彿とさせてやまぬ。第三に最も重要な内容構成であるが、氣賀氏の分析は論理的で、とくにテーゼの提示法は対照法を描くがごとく明晰である。「本多庸一は明治人であった。かれの発想も行動もすべてこの明治期という時代の条件を離れては理解することができない」(「はじめに」)から始まる。次いで本多の津軽藩上級武士としての生い立ち、横浜時代と入信過程、弘前での伝道、教育、政治の三足のわらじを履く活躍、転機を経て青山学院長時代と不敬事件への対応、福音同盟会会長や訓令十二号問題、日清・日露戦争への態度、メソジスト三派合同と初代メソジスト監督としての活躍、そして終焉に至る生涯を描く。その上で、本多の「一生を捧げつくした課題は『キリスト教の日本的展開』に他ならなかった。……そのもろもろの功罪は、本多没後百年の今日、現代の諸条件のもとで、改めて評価されなければならない」と結ぶ(本書二六七―八頁)。以上の氏の三奏法がまろやかなブレンドをなし、読む者に「本多庸一 信仰と生涯」という主題に対する巨匠的なバロック・チェロ協奏曲演奏を聴くような醍醐味とスケールを味合わせてくれる。
無論完璧な演奏はないように、この勝れた著作にも微細な不満がないわけではない。第一に、本多の功罪についてもう少し個人的な氣賀氏自身の評価を伺いたかったが、公的な学院出版物の性格もありやむを得なかったのであろう。第二に本多庸一研究の参考文献一覧表がなく、これがあれば一層若い世代の研究者に役立ったであろう。第三に、今後は日本教会史や日本史の文脈における本多のみならず、英米教会史、神学思想史との関係史の観点から本多の信仰や思想も解明される必要があろう。だが本著作はこうした展開を可能にする日本側の堅固な研究土台を据えた点で、永続的な価値をもつ作品であることは疑いない。学院内外の識者に広く読まれることを期待したい。
(たなむら・しげゆき=東京神学大学教授)
『本のひろば』(2013年3月号)より