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内容詳細
イエス、そしてパウロの宣教活動の拠点となったシナゴーグ(会堂)。
ユダヤ人の生活の中心であるその建物は、どのような施設であったのか。
2人の第1人者の書き下ろしによる、本邦初の本格的なシナゴーグの入門書。
近年の考古学研究を踏まえ、碑文や碑ラビ文献などの第1次資料、遺構から発見された彫刻やモザイクの写真を豊富に用いて解説する、充実の1冊。
キリスト教、ユダヤ教に関心のある方はもちろん、宗教史、古代の建築・美術に興味のある方にもお薦めです!
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目 次
まえがき
第Ⅰ部 文献・碑文に見るシナゴーグ
第1章 シナゴーグを表す名称および表記
第2章 シナゴーグと学びの家
第3章 シナゴーグの役割
第4章 碑文
第5章 シナゴーグ建築とラビたち
第6章 シナゴーグの成立
第Ⅱ部 考古資料に見るシナゴーグ
第7章 イスラエルの地におけるシナゴーグ建築
第8章 サマリア人のシナゴーグ
第9章 ディアスポラのシナゴーグ
《著者・訳者紹介》
F.G.ヒュッテンマイスター(Frowald Gil Huttenmeister)
1938年旧西独生まれ。1970年からテュービンゲン大学、ハイファ大学、パリ大学などでユダヤ学を講じる。ヨーロッパにおけるユダヤ人墓碑銘研究における世界的権威。
H.ブレードホルン(Hanswulf Bloedhorn)
1950年ベルリン生まれ。1987年からテュービンゲン大学、フライブルク大学など各種大学、研究機関でユダヤ教学、考古学に関する講義および研究プロジェクトに携わる。シナゴーグ建築研究およびエルサレムの史的研究においてとりわけ著名。
著書多数。二人の共著にThe synagogue ‘,The Cambridge History of Judaism(1999)がある。
山野貴彦(やまの・たかひこ)
1976年東京生まれ。立教大学大学院文学研究科組織神学専攻博士課程前期課程修了。現在ドイツ・テュービンゲン大学プロテスタント神学部博士課程在籍。
書評
「教会」の原点を多角的に解説する
F・G・ヒュッテンマイスター、H・ブレードホルン著
山野貴彦訳
古代のシナゴーグ
市川 裕
本書は、古代ユダヤ教のシナゴーグに関して、代表的碩学である二人のドイツ人学者により、日本の読者を対象として書き下ろされた研究書である。冒頭の本書の成立事情によれば、本書は、研究者個人の友情に端を発して、日本での招待講演の折に教文館により正式な執筆依頼が為され、執筆者のもとで学ぶ日本人の若手研究者が邦訳を担当したものであり、人々の深い思いが込められた記念すべき出版といえよう。
シナゴーグに関する情報は文献と碑文と考古遺跡に分類されるが、文献と碑文をヒュッテンマイスター氏が、遺跡をブレードホルン氏が分担している。両者は、ケンブリッジ大の古代ユダヤ教史シリーズでシナゴーグ篇を執筆している。内容は要を得た簡潔な解説が網羅的になされ、通説としての安心感を与え、知識を整理し通説の現状を知る格好の概説書となっている。
シナゴーグという通称はギリシア語に由来する言葉であるが、対応するヘブライ語は「クネセト」で、多様な目的を含む集会の意であり、元来は今日前提される宗教施設ではなかったと考えられる。また、その発生もイスラエルの地よりも早くに、離散のユダヤ社会で出現したようである。著者はそうした起源について詳細な記述は避け、むしろ、ユダヤ教の発展に伴って、用途や意味づけが変化している点に多く注目している。
この点は深く共感するとともに、ある重大なことを教えられた。私たちがユダヤ教のシナゴーグという概念で想定している意味とは何かをもう一度吟味せよ、という教訓である。今日のユダヤ教を考えれば、シナゴーグとは礼拝と聖書朗読の場としての宗教施設を指すといえるが、離散の地においては、今でもシナゴーグは地域のユダヤ人が集まる会館のような建物の中の一室として作られていて、独立した単独の施設ではない場合もある。東京にあるシナゴーグもこの例に入るであろう。集会の場と礼拝の場は別かもしれない。このことは古代においても同様であったし、なかんずく宗教施設へと変化する時期やきっかけについては、あらためて十分な吟味が必要になるはずである。
加えて、本書の終わりのほうで、サマリア人のシナゴーグについても言及されている。ユダヤ教と類似の機能が想定されているようであるが、それはどの段階のユダヤ教におけるシナゴーグを指すのか、さらなる問いを喚起せずにはおかない。
重大な変化は、いくつかの具体的な証拠を挙げて解説されている。例えば、七十人訳ギリシア語聖書では、旧約聖書本文を拡張した補足説明の部分で、ギリシア語の「シュナゴーゲー」が集会の意味で用いられたのに対して、新約聖書ではこの語が集会の施設の意味で用いられたという。また、この集会の施設が、世俗的な用途から宗教的な要素へと重点を移行させた点も重要である。その分岐点は、やはり七〇年の神殿崩壊と考えられている。
また、シナゴーグと学びの家(ベト・ミドラシュ)は同じものか別かという問いに関しては、ハラハー上の区分はあり、理論的には別であるが、密接不可分で、同じ意味を持つとされる。シナゴーグが宗教的用途を中心とする施設となるに至って、ラビたちがどのように規制を設けていったかも扱われる。一般人が、あいかわらず「民の家」と呼ぶことに対して苦言を呈することがあったといわれる。さらには、その後の変化として、建物の向き、設置場所の条件、祈る方角、床の装飾や図柄への態度などが、具体的な文献・遺跡・碑文を総合して考察される。
これだけの内容を盛るからには大部の書物が連想されるが、本文は図版を含めて一〇〇頁に満たない。証拠を詳しく調べたい人には、ラビ文献等の典拠に関する詳細な注と豊富な参考文献が巻末に用意されている。考古地図の詳細な凡例といい、小著ながらドイツ人学者の堅実さを感じる。カタカナ表記や日常生活に関する語なども含め、翻訳の苦労とやりがいが察せられる。
(いちかわ・ひろし=東京大学教授)
(A5判・一四六頁・定価三〇四五円〔税込〕・教文館)
『本のひろば』(2012年11月号)よりツꀀ