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内容詳細
洗礼・聖餐問題の根本に迫る
聖餐は史的イエスに遡源するのか、しないのか。洗礼や聖餐はサクラメントなのか、人間の主体的応答なのか。洗礼にはどんな意味があり、陪餐とどう関係するのか。幼児洗礼にはどんな根拠があるのか。最新の研究と議論を紹介しながら、教会史家の立場から渦中の問題に一石を投じる。
[目次]
第一部 イエスと洗礼・聖餐の起源 第一章 現代日本人のイエス像/第二章 現代の聖書学における聖餐の研究/第三章 聖餐の起源の問題
第二部 現代におけるサクラメントの問題 第一章 現代における洗礼の諸問題/第二章 サクラメントの倫理化/第三章 その他の問題
付 論 日本基督教団の諸問題 第一章 日本基督教団とエキュメニズム/第二章 日本基督教団の二重構造性について/第三章 他教派を理解するとはどういうことか/第四章 井上良雄と東神大紛争
赤木善光(あかぎ・よしみつ)氏は、現在、東京神学大学名誉教授。著書に『信仰と権威』『宗教改革者の聖餐論』『なぜ未受洗者の陪餐は許されないのか』等
書評
尽きない刺激と示唆を与える書
赤木善光著
イエスと洗礼・聖餐の起源
朴憲郁
本書の著者は日本の代表的な教会史家の一人として、宗教改革者たちの一大テーマであった聖礼典(洗礼と聖餐)、とりわけ聖餐の問題に深い関心を抱き、その研究成果はすでに二〇〇五年に、『宗教改革者の聖餐論』として出版された。二〇一一年には、同書の韓国語訳(金鐘武訳)も出た。同書は純粋に歴史神学的研究書であるが、宗教改革者たちにとって聖餐問題は信仰者と教会の存立に関わる重大テーマであって、机上の議論ではなかった。この意味における論争的な性格を引き継いで、著者は同書の出版後に、洗礼をも含む聖礼典の正しい理解を求めて、国内外の研究者たちに正面から論争を挑んだ。その積み重ねがこのたび出版された書物である。付論を第三部とすれば、三部構成となっており、その中のいくつかの章は二〇〇六年から二〇〇九年までの諸講演の原稿の収録である。
第一部の「イエスの洗礼・聖餐の起源」は、第一章「現代日本人のイエス像」、第二章「現代の聖書学における聖餐の研究」、第三章「聖餐の起源の問題」であり、新約聖書学分野に属する問題を踏み込んで取り上げた。この分野の門外漢である著者は、この第一部を自ら「素人談義」に過ぎないと言う。だが著者の初期の著作、『信仰と権威』においてすでに、新約聖書学的議論と聖書テキスト研究の方法が相当に発揮されていた。
著者は、洗礼・聖餐を取り上げながら、どうしてその前にイエス像問題を取り上げるのであろうか。それは、「未受洗者の陪餐問題の根底に、イエス・キリストをどう信じるか、また教会をどのように考えるのか、という根本問題があるからだ」(一五頁)とし、今の日本基督教団の問題を意識する。さらに、「サクラメント問題は教会においてのみ成立するのであって、教会以外では成立しない。従って教会観が明確でないところで、未受洗者の陪餐問題が起こるのだ」とも言う。こうして、ほぼ同時代を生きた日本の新約学者たち(荒井献、八木誠一、田川建三、松永希久夫。それに小河陽を加える)のイエス像論争を的確に把握し、学問的、客観的研究の背後にある正統信仰、非正統信仰の問題を暴き出す。それが第一章である。
第二章では、新約聖書における聖餐問題をW・マルクセン(『キリスト論的問題としての晩餐』)とP・シュトゥールマッハー(主に『ナザレのイエスと信仰のキリスト』)、G・タイセン(主に『聖書から聖餐へ』)を主に取り上げた後、最後は、研究者が聖書を、神の啓示の書または宗教的救済と説く書として見るのか、あるいは客観的に宗教としてのキリスト教研究の一資料と見るのか、という二つの姿勢にかかっていると締めくくる。
第三章では、宗教史学派の特質から説き起こして、イエス時代の愛餐と聖餐の関連を、先行研究書を手がかりに論じる。著者の赤木自身は、聖餐の制定はイエス自身に遡源するのであって、原始キリスト教団の創作ではないとの帰結に至る。
第二部は「現代におけるサクラメントの問題」を、特に(幼児)洗礼論の問題に絞って取り上げる。めぼしい和洋両文献を包括的に取り上げ、その中でK・バルトの『教会の洗礼論』におけるカルヴァンの幼児洗礼論への批判は正鵠を射ていないと主張する。そして、バルト親子に代表される改革派教会の根本問題として、サクラメントの倫理化(→人間の応答的行為に先立つ神の働きとキリストの身体的現臨の軽視)を指摘する。その他、クルマン、小林信雄、ビースレイ・マレイ、アーラントなど国内外の洗礼論を取り上げる。
最終的に、サクラメント問題(幼児洗礼、未受洗者の陪餐の問題など)は使徒信条が唱える「聖なる公同の教会を信ず」の可否、および教会を「キリストの体」として信じ得るか否かにかかっているとの帰結に収斂される(三一五頁)。
第三部の付論では、日本基督教団の諸問題を扱い、最後に「井上良雄と東神大紛争」を著者の体験を交えて批判的に述懐する。
実に多岐に亘る文献を踏まえ、鋭利に洞察した本書は、次世代を担うキリスト者に尽きない刺激と示唆を与えるに違いない。
(ぱく・ほんうく=東京神学大学教授、日本基督教団千歳船橋教会牧師)
(A5判・四六〇頁・定価三六七五円〔税込〕・教文館)
ツꀀ『本のひろば』(2012年8月号)より