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内容詳細
●世界の代表的な説教を紹介するシリーズ。
●説教者の参考と助けになり、信徒の信仰書にも用いられる説教を古代から現代までの範囲にわたって収集。
●本巻では、キリスト教の形成に大きな役割を果たし、後代に多大な影響を与えた教父たちの説教を収録する。
●現在知られているもののなかで最古の説教や葬儀での説教、洗礼者志願者への説教、クリスマスでの説教など、多彩な内容と多数の本邦初訳のものを含む。
書評
教父の語りへの情熱や技量が楽しめる
小高毅編
シリーズ・世界の説教
古代教会の説教
関川泰寛
本書は、古代の説教のアンソロジー(抜粋集)です。これまで多くの教父の翻訳や解説を手掛けてこられた小高毅氏が選んだ教父の多様な説教が簡潔な解説とともに収められています。
それらは、擬クレメンスに始まって、オリゲネス、アタナシオス、エルサレムのキュリロス、カッパドキア教父、クリュソストモス、アレクサンドリアのキュリロス、さらにはアンブロシウス、ヒエロニムス、アウグスティヌスなどのラテン教父にまで及びます。これまで、オリゲネスやアウグスティヌスの説教、講話は訳出されてきましたが、本書によって、わたしたちになじみの薄かった教父の説教が日本語で読めるようになったことは喜ばしい限りです。
一口に古代教会の説教と言っても、多様な類型があったことが知られています。聖書講話、要理教育講話、典礼暦年に沿った説教、特定の個人を称賛する説教、時事的な問題に関する説教などです。紹介されている説教は、これらの類型のどれかにあてはまるもので、古代教父たちが、実に多様で豊かな言葉を語っていたことがわかります。
小高氏の解説によれば、教父の時代は、「語りの時代」であったと言われます。古代では、筆記するよりも、語られたものを口述筆記するのが一般的でした。オリゲネスが大勢の速記者を雇って、交代で筆記させた逸話は有名です。また当時の読書は、口で音読してなされるのが常でありました。そういう語りの文化が、古代教父の説教にはよく反映しています。そのために読者は、古代教父の語りへの情熱や技量を読み取る楽しみが本書から与えられるでしょう。
わたしは、かつてオリゲネスの『雅歌注解・講話』を読んで、古代教父の説教の力量に衝撃を受けたことがあります。それは、救済史とロゴス・キリスト論という神学的な前提を背後に保ちながら、聖書の言葉を豊かに響かせていく不思議な力に満ちたものでした。かなり難解な教理論争やきわめて実際的な教会生活の勧めの言葉が、聖書に基づいて平易にしかも力強く、時に修辞的な技法によって、また時に直截に語られるのが教父の説教の特色です。本書に訳出された説教からも、そういう味わいと響きを感じ取ることができます。
アタナシオスの「イエス・キリストの受難および裁きの恐怖について」というコプト語の説教は、おそらく一般庶民を対象とした素朴なものですが、三位一体の父なる神と御子との交わりという視点を保ちつつ、主イエスの十字架の苦難の場面を語り直す説教となっています。アタナシオスの神学的骨格が見える興味深い説教です。
「金の口」と呼ばれたクリュソストモスは、古代教会を代表する名説教家として知られました。彼の「立像をめぐる第二の講話」は、「何を話し、何を語りましょうか。今この時は涙の時であり、言葉の時ではありません。嘆きの時であって、語りの時ではないのです。熱弁ではなく、祈りが必要です」という言葉で始まります。この説教は、四世紀末のアンティオケにおける市民暴動を背景としています。社会の混乱と対立を嘆き悲しみつつ、慰めのメッセージを伝えます。「ですから落胆せず、嘆くこともせず、逆に今この苦しみを恐れることもしないようにしましょう。自らの血をすべての人のために流すことを拒まず、その肉とともに血までも分かち与えた方が、われわれの救いのために何を拒むでしょうか……」。
エルサレムのキュリロスの「カテケシスの序」は、キリスト教公認後のキリスト教会が何を重んじて教会の形成にあたっていたかを知ることができる貴重な説教です。またバシレイオスやナジアンゾスのグレゴリオスの説教も一読に値する秀逸な説教です。本書が説教に携わる牧師や神学生だけでなく、教会に関心を寄せるすべての人に読まれることを期待しています。
(せきかわ・やすひろ=東京神学大学教授・日本キリスト教団十貫坂教会牧師)
(A5判・三五〇頁・定価三五七〇円〔税込〕・教文館)
『本のひろば』(2012年6月号)より