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内容詳細

『神の国』や『三位一体』など数々の著作を書き記し、西方教会の礎を築いたアウグスティヌス。彼の生い立ちから、若き日の罪との葛藤やマニ教やプラトン主義との接近、そして彼の回心とその後の歩みまでを、自伝『告白録』をもとに生き生きと描く。

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書評

私たちの生の苦悩を共にするひとりの人間

S・A・クーパー著

上村直樹訳

はじめてのアウグスティヌス

 

松﨑一平

 本書は、アウグスティヌスの思想を、自伝文学の嚆矢ともされる主著『告白』(全十三巻)に従い、アームチェア・セオロジアン素人神学者向けのシリーズの一冊として手際よく説明する、すぐれた研究者による好著の邦訳である。『告白』の前半九巻の自伝的部分に対応する九つの章と、ヒッポ・レギウス(現在のアルジェリアのアンナバ)の司教の内面の現在を語る第十巻に対応する第十章、さらに創世記冒頭の比喩的解釈を試みる後半三巻を踏まえて、『告白』後の生と思想を簡明に語る第十一章とから構成されている。こうして本書は、アウグスティヌスの生涯と思想を俯瞰する。

 『告白』研究は、三十年ほど以前のすぐれた校訂本の出現が画期となって、以後、新たな近代語訳がいくつも、また網羅的な注解書が現れた。加えて、新発見を含む膨大な数の書簡や説教が緻密に研究されるにともない、アウグスティヌスを聖人伝説から解き放ち、私たちと生の苦悩を共にするひとりの人間として語りうるようになった。それらの豊かな成果というべき本書には、精選された「参考文献案内」、原著公刊後の主要文献を紹介する「日本語版への序文」、訳者が日本語文献を中心に補訂した「参考文献案内」、さらに訳者の要を得た解説が付され、必ずや読者のよき導きとなる。

 では本書は、どのようなアウグスティヌス像を提供するのか。いま私たちがアウグスティヌスを学ぶことに、いったいどのような意味があるのか。

 西ローマ帝国の辺境、北アフリカの小都市に生まれた知力にすぐれた誠実な若者が、富有ではない父母の期待を一身に負い、恋を、篤信の母との深刻な軋轢を経験しながら、修辞学教師として社会的栄達の階段を上る。一方で、若き日に知恵への愛(哲学)に目覚め、友人たちと真理の探求にいそしむ。それは、真理を知りうるのか自らの魂を深く内省するように若者を促しもした。悪なる肉の束縛から善なる魂の解放を説くマニ教の善悪二元論にひかれたのもそのためである。身体も魂とともに神の善なる被造物とするキリスト教の創造論との出会いは、魂のうちに神を探求する内観の道を整え、罪のゆえに脆弱となった魂の最奥の、魂を越えたところに神を見いだす。知力を超えた存在を知った体験は、神の恵みの絶対的な働きの発見に収斂する。そこから、みことばの受肉とそれによる人間の罪の贖罪を理解する道も開ける。神の発見は青年に葛藤の果てに、富と栄誉の放棄と独身の選択と受洗の決意をもたらし(回心)、修道院的生の選択に導く。帝都ミラノの栄えある修辞学教師の地位を辞して帰郷し、聖書を学ぶなか、おのれの体験を反省し、人類の深刻な道徳的脆弱(原罪)と無力とを自覚するにいたる。『告白』が語るこのようなアウグスティヌス思想の生成の現場を、私たちは本書をとおして生き生きと追体験することができる。

 人間の深刻な道徳的脆弱を厳しく告発し、罪を犯さざるをえない現状からの人間の救済は、ひとえに神の恵みにかかっているとする成熟期のアウグスティヌスのペシミズムに対し、人間の道徳的努力の芽を摘む危険な考えとして、同時代のキリスト教徒からも強い疑念が投げかけられた。だがヒッポの司教は、千百年後にルターが共感したこのような人間把握に基づき、神を信じ神への愛を共有する慎ましい人々からなる、神の恵みに支えられた、いつか天国にいたる真の共同体を構想する。いま私たちが、人と人との隔てや国家間のきしみがもたらす困難に、あるいは人類の制御能力を遙かに超える自然的と人工的との災厄に直面しているからには、西ローマ帝国衰退期の混乱の世にこのような人間観をつむぎ、真の共同体を希求しつつ、神の恵みをひたすらに説いた司教のことばに、いっとき耳を傾けることは、いまを生き抜く深い希望を私たちに与えうるだろう。

 八十余りあるユーモラスなイラストは、内容の理解を助けるものではないが、誇張的な表情は、ヒッポの司教を厳格な聖人像から解き放ち、感情の豊かな愛すべき隣人とする。

(まつざき・いっぺい=富山大学人文学部教授)

(四六判・三三六頁・定価二一〇〇円〔税込〕・教文館)

『本のひろば』(2012年6月号)より