税込価格:1760円
この商品を買う 問い合わせる
※在庫状況についてのご注意。

内容詳細

2011年12月5日発売 ●小学校高学年~

笨・ものがたり笨・

ロンドンの平和な家庭がとつぜん不幸におそわれます。お父さんが見知らぬ男たちに連れ去られたのです。

お母さんに連れられ、田舎暮らしを始めることになったロバータ、ピーター、フィリスの3人きょうだい。みしらぬ土地で3人がいちばん最初に友だちになったのは、9時15分ロンドン行きの蒸気機関車「緑の竜(グリーン・ドラゴン)」だったのです。

鉄道をめぐって様々な出来事が起こるなか、3人きょうだいは多くの人と出会います。お母さんを支えながらひたむきに明るく生きる子どもたちの姿に、周囲の大人たちも、いつしか彼らの応援団に。そして、やがて3人に素敵なできごとが……!

笨・笨・笨・笨・笨・笨・笨・笨・笨・笨・笨・笨・笨・笨・笨・笨・笨・笨・笨・笨・笨・笨・笨・笨・笨・笨・笨・笨・笨・笨・

家族の愛、人々の絆のぬくもりを丁寧に描いたハートフル・ストーリー。いたわりとユーモアに満ちた会話に、心が優しくほぐれていくのを感じます。こんなふうに言えていたら、あの時すぐに仲直りできたかもしれない…。そんな気持ちにさせられます。

原書タイトルは”The Railway Children”(1906)。本国イギリスでは、テレビの連続ミニドラマ4回(1951、1957、1968、2000年)、映画(1970年、Lフェリーズ監督)、ラジオドラマ(1991年)、劇場公演(2005~2012年)と、国民的に愛され続ける物語。日本では1971年の映画公開に併せ、『若草の祈り』の題で翻訳刊行されたこともあります。

〔著者・訳者紹介〕

イーディス・ネズビット(1858-1924) ロンドンに生まれ、熱心な社会運動家・小説家として活動。子どもたちの日常生活をリアルに描いた『宝さがしの子どもたち』(1898)をはじめ、『砂の妖精』(1902)『火の鳥と魔法のじゅうたん』(1904)により、ファンタジーの花が開く20世紀児童文学の先駆けとなる。

中村妙子(なかむら・たえこ) 1923年、東京生まれの翻訳家。児童文学、C.S.ルイスの著作と評伝、クリスティーなどの小説、キリスト教関連書など、約250冊の訳書がある。児童書の主な訳書は、『サンタクロースっているんでしょうか?』(偕成社、1977)、マクドナルド『北風のうしろの国』(早川文庫、1981)、ダール『オ・ヤサシ・巨人BFG』(評論社、1985)、バーネット『消えた王子』(岩波書店、2010)など。

〔読者の皆さまへ~お詫びと訂正~〕

本書2頁に挿絵画家名を C. D. Brock と記載しておりますが、正しくは C. E. Brock の誤りでした。読者の皆さまには心より詫び申し上げますとともに、ここに謹んで訂正申し上げます。

 

在庫表示は概要となります。詳しくは「問い合わせる」ボタンから直接出版部にお問い合わせください。

書評

読売新聞夕刊「週間KODOM新聞 ライブラリー」欄に、訳者・中村妙子さんのインタビューが掲載されました!(2012年1月21日10面:この記事はインターネットのニュースサイト、ヨミウリ・オンラインのページでもご覧いただけます)

朝日新聞「子どもの本棚 クリスマス特集」にて、“選者3人のおすすめ6冊”として紹介されました!(2011年12月18日35面・教育欄)

 

家族みんなで楽しむ本

E・ネズビット著、中村妙子訳

鉄道きょうだい

 

齊藤淳夫

 待望久しかった、ネズビットの“The Railway Children”が、ようやく物語にふさわしい美しく軽やかな訳文を得て上梓された。どんなに子どもたち向けの電子書籍が普及したとしても、本は本である、ということをこの『鉄道きょうだい』はさり気なく証(あかし)した、と言えそうである。不器用なほど丁寧に造本され、活字は読みやすく、本文用紙も白すぎず落ち着き、手にした感じも重すぎも軽すぎもせず、表紙とカバーの手触りもよい。カバーには、走り過ぎる汽車に手を振る二〇世紀初頭の、したがってオールド・ファッションのイギリスの三人の子どもが描かれ、思わず復刻版かな、などと思わせられながらもついつい手にしてしまう。本の、他のものには代え難い温もりが、たしかにここにはある。

 作者のネズビットは、一九世紀の末から二〇世紀初頭にかけて、ファンタジー、リアリズム合わせて一八冊の子どものための物語を著し、起伏に富んだしかし安定したストーリーと、なによりも子どもの内面を、決して心理描写や形容詞に頼ることなく、彼らの「言うこととすること」を正確に描写することによって、子どもそのものを鮮やかに現出させ、近代の子どものための物語の基礎を作った人である。彼女の影響を受けて育った作者も、『ナルニア国ものがたり』のC・S・ルイスをはじめとして、実に多い。

 この物語でも、父親を政治犯とみなされ、誤って逮捕されてしまった家族が、ロンドンから田舎に逃げるように引っ越し、そこでの母親と子ども三人の生活ぶりが、そして次第に街の人たちに受け入れられていく姿が、ロンドンに通じる鉄道と、そこを走る、子どもたちの愛してやまない蒸気機関車を縦糸に描かれる。こういう物語にありがちな惨めさ暗さはなく、母と子、子どもたち同士、そして子どもたちが経験した街の人々と彼らの暮らしが、生き生きと躍動的に、つまりは正確に語られ、自ずから、そこには人が日々を生きることの楽しさと、活気と、ユーモアが醸し出され、ついには父親の解放とともに、それが一気に生きる歓びに変じていくドラマが過不足なく語られる。

 父親の逮捕に、ドレフェス事件を思い出したり、著者が深く関係したフェビアン協会への当局の圧力を思ったり、引っ越しから始まる物語に、また、収入の断たれた母親が詩や散文を書いて生活の足しにしようとする姿に、あるいは、子どもたちを学校に行かせず自由にさせておく姿に、作者自身の波乱に富んだ生涯を垣間見ることはできるが、この物語が一〇〇年残ってきた理由は何と言っても、三人の子どもたちの描き方にある。盗んだ石炭をめぐっての駅長とのやりとりをはじめとした、街の人々との交わり。熱をだし倒れた母親がうわ言で「ママ」と口走るのを聞いた驚き。貧しさとの戦い。父親の逮捕の理由を知った悲しみ。トンネルの中に倒れた青年を救う恐怖との戦い……。どのエピソードも、三人の子どもたちが、それぞれの年齢に合わせて必死に向き合い、読者の子どもたちは自分の姿をそこに発見することができるだろうし、おとなの読者は、忘れてはならぬ「子どもの時間」をそこに発見することだろう。紛れもなく一級の読み物である。

 ネズビットのファンタジー『砂の妖精』(福音館書店)と『火の鳥と魔法のじゅうたん』(岩波書店)、リアリズムの『宝さがしの子どもたち』(福音館書店)は、翻訳も装丁も最善の心配りがされ刊行されているのではあるが、彼女の物語はまだ我が国の子どもたちの宝物とまではなっていない気配である。あまりに地味で、静かで、今の子どもたちは手に取らないだろうと、おとなが勝手に思っているからではないのだろうか。この本をきっかけにして、ネズビットが多くの子どもたちの手元に届くことを祈ってやまない。我が国の復興は、その地味で静かなところからしか始まりようがないではないか。 

(さいとう・あつお=児童文学作家・編集者)

(四六判・三七六頁・定価一六八〇円〔税込〕・教文館)

『本のひろば』(2012年4月号より)