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内容詳細
ローマ帝国からフランス革命まで、宗教改革を中心に西洋史とキリスト教の密接な関係を纏める。
書評
歴史に対する新鮮な刺激と光
黒川知文
西洋史とキリスト教
ローマ帝国からフランス革命まで
宇田 進
今日、GDP(国内総生産)の世界上位六か国は、すべて欧米の国々であるが、それらの国々に共通するもので主要なものはというと、それはキリスト教であると言えよう。著者はこの点を重視し、特にローマ帝国から近代フランスの市民革命までの歴史を、社会的・経済的側面と宗教的側面との関係を中心に説き明かそうと試みている。
全体は、次の七章から構成されている。第一章では、ローマ帝国においてキリスト教がどのように受容されたか。第二章では、西洋中世に注目し、キリスト教は先住文化をどのように取り込んでいったか。第三章では、宗教改革時代に注目し、ルターやカルヴァンなどによる聖書に基づく宗教改革がどのように歴史を変革したかが説き明かされる。第四章では、十六、十七世紀の英国における宗教改革とピューリタン革命の歴史が会衆派やバプテスト教会の誕生を含めて扱われている。後者の“功罪”についても率直に触れられている。第五章では、アメリカに注目し、特に十七世紀初頭の開拓期から十九世紀中葉までに起こった独立革命、第一次と第二次の信仰復興運動の跡が明らかにされる。この中では、ペンシルバニア州のランカスター地方に住む“アーミッシュ共同体”(評者も滞米中に接触の機会を持った)も紹介されている。本章は、近年論議されてきた“キリスト教原理主義”とも少々関連があることを付記しておきたい。第六章では、フランス市民革命とキリスト教との関係が解説されている。特に政教分離の問題や、理性を中心とする近代合理主義とキリスト教の葛藤の現実が解明されている。終章では、①歴史から学ぶもの、②歴史の“旅”(著者は取り扱っている国々の“実地調査”を怠らない!)から学ぶもの、そして③“今後の研究課題”の指摘にまでこまごまと筆を進めている。
本書で取り上げられている主要な内容は以上であるが、さらに評者の関心がひかれた次の二点も付記したいと思う。その一点は「おわりに」という部分である。この中で、著者は“歴史学と私”という表題のもとに、歴史研究家としての言ってみれば“格闘の跡”と、貴重な“実存体験”とを率直に述べておられる! もう一点は、図、表、地図、写真が豊富にもられていることである。これらは、読者の理解を助ける上で大切な要素になっている。
評者は、このたび本書に接して、思えば半世紀近く前に出会った二人の碩学が訴えられた歴史を扱う上での貴重な“視点”と“呼びかけ”とをあらためて想起させられた次第である。一人は『プロテスタンティズムの倫理と資本主義』(一九〇四年)で広く知られ、本書の著者自身も歴史研究の方法論において尊ぶマックス・ヴェーバーである。特に“歴史の流れに垂直に橋をかける”というヴェーバーの視点への訴えは、今でも頭の中に焼き付いている。ヴェーバーが訪米を機に出された『北アメリカにおける教会とゼクテ』(一九〇四年)も、ここに付記しておきたい。もう一人は、英国の歴史学者R・G・コリングウッドの『歴史の観念』(一九四六年)の中に登場する呼びかけである。彼は、人間の社会、経済、国際関係、そして宗教に関する歴史的研究と思考が生む“進歩”に触れ、「進歩は歴史的思考が発見すべき事実ではなく、歴史的思考によってのみ、いやしくも生み出され、生起する」(邦訳、一九七〇年、三六四頁)と述べている。
歴史には、円環的に巡り来る限りない変化と流転があるのみで、人間はその繰り返しの定めにはまっているという歴史感覚が強い日本の文化と宗教的土壌の中で、多くの読者は本書を通して人類・社会の歴史に対して新鮮な刺激と光とを与えられるのではなかろうか。また、本書で明らかにされた西洋史の展開に与えたキリスト教の影響の跡からも多くのことを発見するのではなかろうか。
(うだ・すすむ=東京基督教大学名誉教授)
(四六判・三四二頁・定価二九四〇円[税込]・教文館)
『本のひろば』(2010年12月号)より