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内容詳細

芥川賞作家が九州各地を巡り歩き、語り伝えられた信仰の痕跡訪ねる、キリシタン探検の旅。

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書評

深い洞察と探究心で綴る、キリシタン史の現場歩き

森 禮子

南蛮伴天連の道

片岡瑠美子

二〇一〇年六月に発行された森禮子氏の著書『南蛮伴天連の道』は、『キリシタン史の謎を歩く』(二〇〇五年刊)と『キリシタン海の道紀行』(二〇〇八年刊)の二著に続くもので、二〇〇二年春の北有馬から二〇〇九年十月の博多、秋月まで、八年の歳月をかけて、キリシタン史の現場を歩き続けて完成した三部作である。いずれにも、「歴史の真実はやはり、史料のみを絶対とせず、人間の実存への洞察と自分の足を使わないと見えてはこない」という著者の信念が貫き通されている。その多くを筆者も訪れているが、キリシタン関係遺跡、キリシタン墓碑は、まさに「山の奥、野の涯に」ようやく残っている状況であるため、その探訪には情熱と歩く体力・気力が必要である。これを成し遂げられた著者には、真に敬服するのみである。
『南蛮伴天連の道』は、長崎から始まる九州キリシタン史の書である。
長崎のキリシタン史は、平戸・横瀬浦・福田・長崎港へと南蛮船の来航地──それは「南蛮伴天連」の来日の港でもあるが──をたどり、春徳寺・浦上天主堂・桑姫神社・西坂の二十六聖人殉教地の現場で語られていく。キリシタン史の研究書を読み込んだ作家の筆になると、歴史がこのように簡潔にわかりやすくまとめられるのだと驚きつつ読み進むことができる。比較的新しく発見された、わが国で唯一のキリシタン時代の教会遺構「サント・ドミンゴ教会跡資料館」については、著者の「見ても見飽きぬ思い」が伝わってくる。
高瀬・菊池・小国の旅では、当時の宣教師たちが高瀬から府内へと豊後街道をたどったとする歴史家の説に対して、フロイスもアルメイダも阿蘇山のことを一言も書いていないことを根拠とし、「土豪神官の阿蘇二十四家が支配する」阿蘇山あたりを避けたのであろうという同行者の主張に、「山そのものがご神体だから」と賛同し、菊池市の上木庭、南小国の満願寺のキリシタン墓碑を繋いで、菊池、久住高原、朽網【ルビ くたみ】(直入町)行程とする新説に期待と興味を記している。
宮崎県日南市飫肥【ルビ おび】の旅では、天正遣欧少年使節の一人伊東マンショについて愛情をもって述べられている。
探訪を楽しみながらも、キリシタン史への深い洞察と研究心を有する著者は、安易なキリシタン遺跡、キリシタン遺物説には妥協せず慎重である。
黒島では、復活教会のシンボルであるレンガ造教会堂を訪れ、十六、十七世紀のキリシタン遺跡こそ確認できなかったが、島の老女の微笑に「信仰に生きる人びとの魂の輝きを目にすることが出来た」というのは、信仰に生きる者にして気が付くことなのかもしれない。
そして、著者は写真と紀行文で読者を現地に誘う。
著者とカモ氏ヤマ氏の八年間の三人旅に深く共鳴し楽しめるのは、この方々の阿吽の呼吸の振る舞いがかもし出す空気、その情景であろう。著者が幾度も述べているように、このような同行者に恵まれるのは稀なことであろう。
著者の現住地、博多と秋月をもって『南蛮伴天連の道』は終っている。しかし、「今後もこの旅ばかりは、生涯現役でありたいと希っている」著者に、まだ語られていない鹿児島の旅を期待したい。
「あとがき」に、「八年にわたる旅で知り得たひとつ」として、「意外なばかり数多くの信徒の足跡が残されていたこと」をあげ、「日本にキリスト教は根づかないとよく言われるが、キリシタン時代には、全国的にかなり根づいていたのが事実ではあるまいか」と述べている。宣教・発展の時代に信仰を養われ、禁教・殉教・潜伏の時代には一人の司祭もいない中で信仰伝承を成し遂げ、教会の復活を実現したキリシタンがいた歴史的事実は、キリスト教が根づいていなければありえなかったと確信する筆者も、著者の論を肯ずる一人である。
この伴天連の道を学生たちと歩いている者として、そのテキストとしても最適なこの本の発行を喜び、感謝したい。
(かたおか・るみこ=長崎純心大学人文学部教授・教会史)
(四六判・二二四頁・定価一九九五円[税込]・教文館)
『本のひろば』(2010年11月号)より