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内容詳細
古代イスラエルの人々にとって、「太陽」や「雷雨」などの自然現象はどんな意味を持っていたのか? なぜ「岩」、「砦」、「翼」などと神に呼びかけたのか? 詩編の祈り手たちが思い浮かべるイメージの世界に近づくためには、視覚的なアプローチが不可欠となる。本書は古代オリエントの図像から詩編の世界を例証し、旧約時代の人々の思考様式を主題別に解き明かす。聖書読解に大いに役立つパートナー、待望の邦訳!
◎古代イスラエルと周辺世界のシンボリズムを分かりやすく詳説。
◎世界各国で親しまれたロングセラーの最新版からの翻訳。
◎精緻に書き起こされた約550点の図版と、約30点の写真を収録。
◎便利な聖書箇所索引・事項索引、および豊富な文献表付き。
書評
具象的なイメージを伴った聖書理解のために必携の書
O・ケール著/山我哲雄訳
旧約聖書の象徴世界
古代オリエントの美術と「詩編」
飯 謙
聖書を読んでいて、たとえば、「あなたの波はわたしを越えて行く」(詩編四二・八)というフレーズに接し、それがどのような世界観に立って語られているのか、具象的なイメージがほしいと思ったことはないだろうか。「祭壇の角までいけにえをひいて行け」(詩編一一八・二七)を詳しく説明しようとして、行き詰まったことはないだろうか。テレビやCGのリアルな再現映像に慣れ親しんだ世代の人たちは、「主の御前にひざまずこう。共にひれ伏し、伏し拝もう」(詩編九五・六)について、日本語の問題としてならば理解できるとしても、それだけではなく、聖書時代における実際の所作を確かめられず、物足りなさを感じたことはないだろうか。かゆいところに手が届かない状態とでも評せようか。このたび、それらを補って余りある書物が出版された。
この書について述べる前に、少しばかり聖書考古学の諸事情をさらっておこう。古代イスラエルの民は、基本的に十戒の第二戒「偶像鋳造・礼拝禁止」を拡張して、図像資料を残さなかったため、現代の聖書読者は細部の把握を断念せざるをえなかった。研究者はそれをイスラエルの周辺世界に求め、一九世紀以降、オリエント諸地域で遺跡発掘が積極的に実施された。そうしてこれらの考古学的素材が聖書の理解に有用であるとの認識が一般化したのである。欧米ではその成果が次々に公表され、さらに編集されて書物に纏められてきた。英語圏を代表するものとしてはJ・プリチャードが編集した『旧約聖書に関わる古代近東のテクスト』(ANET)や『写真で見る古代近東』(ANE in pictures)が思い浮かぶ。ウェブサイトでわが国の大学図書館蔵書を検索してみると、両書は非キリスト教系も含め、五十以上の大学に所蔵されている。両書の学的水準に対する信頼度の高さが見て取れ、合わせてこの領域への関心の深さが窺える。しかし残念ながらこれらはいずれも未邦訳である。他方、このジャンルについて(翻訳も含め)邦語で出版されているものの多くは『図説……』あるいは『ヴィジュアル版……』と銘打つ、一般読者を対象とする書物で、一歩踏み込んだ学習を志す人の期待には、なかなか応えにくい内容であった。
ここに紹介するO・ケールの著書は、一九七二年の初版以来(一九七七年の第二版で増補)版を重ねていることからも想像できるように、その領域で独語圏を代表する労作である。古代オリエント世界の文書や記念物、建築物等に描かれた図像を六百点近く蒐集し、第一章から第六章まで、世界観、他界や敵対者、神殿、神観念、王、人の宗教生活に分類して、聖書に関係づけた説明を付している。著者は古代オリエントの図像分析に精通した旧約学者で、スイスのフリブール大学で長く教鞭を執り、今日も名誉教授としてなお第一線に立って研究活動を続けている。本来の目的が違うので単純に並置するべきではないが、邦語版の類書といえる『聖書考古学大事典』(講談社)や『旧約新約聖書大事典』(教文館)と比べても、質的にも量的にも引けをとらないし、むしろコンパクトな分だけありがたい書物だとさえ言えよう。筆者は勤務先の図書館に、その原著書(第五版)とともに英訳版も備え、おりおりに学生に紹介してきた。そこに邦訳版が加えられた。山我哲雄氏のお骨折りに心より賛辞と感謝を表したい。
個人的に興味を覚えたのは(申し訳ないことに本欄で詳述できないが)第六章第一節の「祈りの動作」において、祈るために両手を挙げる際、手のひらと手の甲のいずれを内側に向けるかについて解釈した箇所であった。本誌の読者には、教会の書棚や書斎の目立つ場所に本書を配し、聖書の理解に資するようお奨めしたい。蛇足ながら訳文は簡潔で読みやすく、多くの人が手に取るにふさわしい。
(いい・けん=神戸女学院大学教員)
(B5判・四六四頁・定価九八七〇円[税込]・教文館)
『本のひろば』(2010年8月号)より
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