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内容詳細

幕末から日露戦争終了までのプロテスタント宣教50年の歴史を来日宣教師が描いた生の記録。

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書評

日本プロテスタント史を証言する歴史書

O・ケーリ著

江尻弘訳

日本プロテスタント宣教史

最初の五〇年(一八五九─一九〇九年)

塩野和夫

長く英語の著作でしか読めなかった日本プロテスタント史の古典が、熱意のある翻訳者を得て日本人読者に提供された。三六七頁に及ぶ大著を訳者は細部に至るまで丁寧に訳している。

本書の特色の一つは豊富な資料の駆使である。「歴史は、死せる過去を死んだものとして葬り去ることを、許容すべきではあるまい」(三八六頁)とO・ケーリは語る。望ましくない資料を含めて歴史は何よりもまず、資料によって紐解かれ考察される。歴史に向けた著者の誠実な基本姿勢がここにある。原著のタイトルは「A・B・C・F・Mの三〇年に及ぶ宣教師」とケーリを紹介している。日本宣教に関わり続けた三〇年によって、海外宣教団体の機関誌を初めとした豊富な資料は著者の共感と洞察に満ちた時代の証言という性格を持つ。

他方、「第一章 閉ざされた門戸を前にして待機する」から「第一〇章 過去、現在、ならびに将来」に至る目次は、日本プロテスタント史を「第一期 一八五九─七三年、第二期 一八七三─八二年、第三期 一八八三─八八年、第四期 一八八九─一九〇〇年、第五期 一九〇一─〇三年、第六期 一九〇四─〇九年」と時期区分する。この歴史区分は基本的に今日でも通用する。ケーリが語る「思い出していただける」(三三四、三五二頁)という発言には、アンドーヴァー神学校における授業の痕跡が伺える。彼は収集した豊富な資料を講義などの機会を用いて分析し整理し、歴史としてまとめていったのであろう。

さらにケーリは「新しい日本を築き上げた急進的な改革のほとんどすべてのものの背後」に「イエスの精神」を洞察し、五〇年に及ぶ日本プロテスタント史の意味を認める(四四九頁)。その上で歴史観を述べて「歴史というものの本来の領域は過去にある。だがしかし、……将来というものは過去に蒔かれたものの果実であって、……歴史は時には将来を見通し、過去の経験から将来起こりそうなことを……予言しようとする」(四五〇─四五一頁)と語る。この歴史観によってケーリのプロテスタント史は単なる過去の歴史書という性質を越えて、読者に歴史的出来事との真剣な対話を求めるのである。

翻訳上の問題点を指摘しておく。“Mission”は一律に「宣教師団」と訳すのではなく、固有名詞であれば宣教団体名(二〇頁二〇行目他)に翻訳し、普通名詞であれば「宣教団体」(六頁一〇行目他)と、小文字で活動を意味する時は「宣教活動」(一〇頁二〇行目他)と訳すことができる。「超国家主義」は「国際主義」(九頁)、「行政最高責任者」は「奉行」(五二頁他)、「伝道所」は「ステーション」(九二頁)、「小枝」は「支部」(九三頁)、「薬局」は「診療所」(九四頁他)、「行政責任者」は「県知事」(一〇七頁他)、「小冊子」は「トラクト」(一二三頁他)とすべきであろう。「第二五期年報」は「第二五回年会記録」(一二六頁)、(16)“Nov. 23”は“May 25”(一二七頁)、「大村」は「大浦」(一二八頁)、注の(21)は「日本におけるW. E. Griffis」(一二七頁)であろう。(1)の末尾に「六一頁」が欠落(二二六頁)、(5)に“Mis. Herald, 1874, p.273”が欠落(二二六頁)、(8)と(9)の間に「(9)Japan Evangelist, 一八九六年六月八日号」が欠落している(二八七頁)。「節制」は「禁酒」(三二〇頁)、「組合教会系伝道組織」は「日本基督教伝道会社」(三三五頁)、「受け取る」は「謝絶する」(三四九頁)であろう。

指摘した翻訳上の課題は本書の価値をいささかも損なうものではない。一〇一年ぶりに日本語に翻訳されたO・ケーリ著『日本プロテスタント宣教史』は、本書の味読を通して読者との真摯で豊かな対話を求めている。

(しおの・かずお=西南学院大学教員)

(A5判・四七四頁・定価四四一〇円[税込]・教文館)

『本のひろば』(2010年7月号)より