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内容詳細

これは、「現場の神学」だ。   晴佐久昌英師(カトリック東京教区司祭)

教会の誕生から現代まで繰り返されてきた、キリスト者による「証言(martyrium)」  その個々の証言の中に信仰の本質はどのように具現化するのか。それらはイエス・キリストの伝承をどのように担っているのか。カトリックの外国人宣教師たちから聴取した証言の再解釈を試みることで、実践基礎神学的なアプローチから宣教や救いの問題を考究する先進的な研究!

【目次より】
 第1章 経験を物語る場としての証言
  第1節 証言の起動
  第2節 ルネサンス・キリスト教ヒューマニズムにみる証言
  第3節 証言と経験

 第2章 経験と啓示
  第1節 解釈学的神学における語り性
  第2節 啓示  プラクシスが現れるところ
  第3節 第二バチカン公会議における「啓示」概念

 第3章 証言の中で啓示を聞く
  第1節 《信の証言》が生まれるところ
  第2節 戦後日本の外国人宣教師の証言
  第3節 想起を聞く
  第4節 断絶と呼びかけ
  第5節 宣教活動の中で揺れる自己
  第6節 回心の道を物語る

◆著者紹介
原 敬子(はら・けいこ)
煉獄援助修道会会員。現在、上智大学神学部助教(実践神学、キリスト教司牧神学、宣教学)。
エリザベト音楽大学卒、広島大学大学院修了(教育学)、パリ・カトリック大学神学・宗教学学部修了。2015 年上智大学大学院にて博士(神学)取得。

 

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書評

キリスト教信仰と神学の原点を改めて問う

東條隆進

 1.本書は「教会以外に救いなし」という教義から「キリスト以外に救いなし」というケリュグマへの、キリスト者という神にある「キリストの旅人」の物語である。キリスト教神学は聖書神学・歴史神学・実践(宣教の)神学から形成される。本書は実践神学に属する。宣教学のキーワードは神学的ケリュグマの意味解明性にある。神学的ケリュグマ性は「ナザレ人イエスこそ神の子キリストである」という宣言にある。

 著者はケリュグマのキーワードをヨハネ福音書一五章二六─二七節に求める。

「私が父のもとから〔将来〕あなたがたに派遣することになる弁護者、父のもとから出てくる真理の霊が来る時、その方が私について証しするであろう。あなたがたも証しする。はじめから私と共にいるのだから」。

 福音書が重視するケリュグマとディダケーの関係性に著者は注目する。本書が第一章「経験を物語る場としての証言」、第二章「経験と啓示」、第三章「証言の中で啓示を聞く」から構成されている理由である。ケリュグマの啓示性をディダケーの経験性と結ぶ。そしてカイロスとクロノスの関係も、啓示性とキリスト者の証言性で切り結ぶ。「証言」なしの「キリスト者」という概念は成立しないように、「キリスト者」という言語・概念なしの「証言・殉教」も成立しない。

 2.宣教の担い手は誰か。第一の担い手は宣教師である。宣教師の指導の下で教会形成が開始し、教会がキリストの運命共同体として、宣教のゲシュタルト・ムーブメントに参加する。「ナザレ人イエスこそ神の子キリストである」という証言と教会のキリストの運命共同体性は切り離すことは出来ない。

 著者は「戦後日本の外国人宣教師の証言」に「信の証言」を求めた。「信の証言」は「聞き手と語り手」の共同作業としてのみ成立する。「あなたの歴史から誘引されるわたしの歴史」の過程で、宣教活動の中で揺れる「自己」の共同発見の旅が始まる。ここで初めて宣教に必ず伴う帝国主義的信念、植民地主義的行為との矛盾が現れる。罪の根源に属する差別の根が現れる。この矛盾の自覚と克服の過程から「キリスト者の実存から立ち現れる証言の生成」が目指される(一七五頁)。

 3.リクールは『聖書解釈学』で「証言の解釈学」の研究をした。そこで宗教的言述から神学的言述への可能性を追求し、マルクス、ニーチェのキリスト教批判、フロイド精神分析学の貢献に注目する。そして自らをヘーゲル後のカント主義者に位置づける。このような主張をカール・バルトもブルトマンもなしえなかった。

 我々は今、日本宣教の困難性に直面している。遠藤周作の『沈黙』で取り上げられた隣人の苦難への配慮という問題や長崎の原爆投下に対する永井博士の神学をどのように受け止めるかという深刻な課題の前に立たされている。

 一八六七年以降の国家による天皇の神格化問題、および今日の象徴天皇制問題にどのように対峙するか。さらに富国強兵という帝国主義・植民地主義の問題点、第二次世界大戦(太平洋戦争)の戦争責任問題、従軍慰安婦問題という解決不可能な課題の前に宣教学は立たされている。

 本書の評者自身は仏教、特に「般若心経」の世界と法然・親鸞の「悪人正機説」の世界との対話をどのように進めるかという課題の前に立たされている。これらの問題は現代日本宣教の不可避の課題であると考えている。

 宣教学を〈cogitatio–meditatio–contemplatio〉の流れの上に乗せ「第二バチカン公会議」の神学を積極的に評価した著者の神学的力量に期待したい。著者に導かれて、本質へと絶えず向きを変える勇気が与えられ、本質へ立ち返る実践を遂行しつつ、神と民との仲介者となる「キリストの旅人」でありたい。

(とうじょう・たかのぶ=日本宣教学会元会長、早稲田大学名誉教授)

『本のひろば』(2017年12月号)より