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内容詳細

なぜ高名な聖書語学者である著者は、オランダでの教授職退官後、アジア各国の聖書協会や神学校でボランティア講義を毎年行っているのか。祖国の現代史の膨大な負の債務を引き受け、侵略戦争の犠牲となった人々との真の和解を訴える著者が、訪問国での思索を綴った一冊。日本聖書協会2014年聖書事業功労者表彰記念出版。

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書評

侵略戦争の犠牲者との和解の道を探る旅

 
大住雄一

 

 以前、ライデン大学ご退任間近の村岡先生に国際学会でお目にかかり、日本で旧約テキスト研究に関心のある若い伝道者の留学の可能性をうかがった。そのときに先生は、「今度韓国で、集中講義をしますよ」とおっしゃった。そのことを、留学を希望する若者に伝えたが、実際には、委ねられた教会を一ヶ月ないし二ヶ月休んで研修に出かけることはできず、話はそのまま進まなかった。
 この度本書に接して、あの時私は、何と大事なものに気づかずに過ごしたのか、その愚かさを後悔することとなった。なぜ私はひとことでも、先生が韓国で集中講義をなさる御意図をうかがわなかったのか。うかがっていたらどうなるということでもないのだが、本書でも、他者への無関心という癒し難い罪過について、何度も注意を喚び起こされており、今後は、先生の旅についてゆくことはできないにしても、ひそかに祈らせて頂こうと思った(この程度でも「先生」と呼ばせて下さい)。
 本書の著者は、日本でよりも外国で知られている「聖書語学者」である。ヘブライ語文法の教科書のスタンダードに、「ゲゼニウス・カウチュ」と呼ばれるものがあるが、最近の新しい学問を代表する教科書には「ジュオン・ムラオカ」があり、旧約学の世界でこの教科書を知らない人はない。その村岡氏は、ヘブライ大学で学位を取られたあと、イギリス、オーストラリア、そしてオランダでそれぞれ十年あまり、聖書語学を研究し、また教えて来られた。イギリス、オーストラリア、オランダ、いずれも「大東亜戦争」(そのように著者は敢えて呼ばれる)において日本軍にひどい目に遭わされた国である。日本が、それら諸国の植民地支配から東南アジアを解放したと言えば聞こえは良いが、実際は国際法違反をたくさん犯して、(エジプトがイスラエルにしたように)捕虜を強制労働に服させて多くの犠牲者を出し、解放したはずの現地の人々を数えきれないほど虐殺した。そうした日本が犯した不法の事実の証言に、それらの国で研究教育に専念した村岡氏は出会うことになった。
 村岡氏は、半世紀にわたる海外生活にもかかわらず日本の国籍を離れず、日本人としてのこの罪過を負おうとされた。本書で明らかになることは、村岡氏が聖書語学の研究という純粋な学問に飽き足らず、定年退職されてから、本当はやりたかった和解の旅を始められたのではないということである。ライデン大学退任を前にして、ご夫婦で祈り求められた末たどり着かれた結論は、「少なくとも私はこれまでの聖書語学ならびに聖書古代語訳の研究を続けるべきだ」ということであったと語られている(二八頁)。その一生をかけた成果を、「かつて日本軍国主義、大東亜戦争という名の侵略戦争の犠牲になったアジアの諸国の同僚の学者や若い学生たちと分かち合うために......無報酬で向こうの大学や神学校で教えさせてもらう」という志を実行されたのだ(同頁)。本書は、その志を受け入れて氏の教えを受けた人々との出会いの報告である。氏と出会って弟子たちは、ヘブライ語やギリシア語で旧約聖書を読むことの意味を学び、神の言を伝える者としての姿勢を確立して行った。また、和解を求める氏の姿を見て、日本軍によって不法に殺された自分の親族の記憶を(直接知らなくても)再び喚び起こし、そうした上で、和解の道を探り始めた。
 本書で繰り返し強調されるのは、「赦すことは忘れることとは違う」という点である。聖書の神は、赦す神であるが、民の不法を決して忘れない神でもある。現在の日本人がしばしばそうであるように、自分の行った加害を忘れるというのは言語道断であるが、被害の事実をきちんと記憶し続けることも、決定的に重要だと教えられる。アジアの被害国では、今の大国日本と仲良くすることは必要だとして、かつての日本の犯罪を忘れようとする人が多いし、日本人もそれに甘えて、自分のしたことを問題にしようとしない。これが最近力を増して来た「歴史修正主義」(主義などと格好をつけられるものではあるまい)の恥ずべき本質だろうし、このような忘却からは、本当の贖罪も赦しも生まれないだろう。
 
(おおすみ・ゆういち=東京神学大学教授)
 
『本のひろば』(2015年7月号)より