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内容詳細
生き生きとした教会をつくるには?
愚鈍で見ばえのしない小さなロバの子が、イエスさまを乗せて力強く歩いたように、無力で弱い「ちいろば」の群れが、フシギな力を発揮してつくり上げた教会の物語! 多くの人々に敬愛された熱血牧師が、教会の本質をわかりやすく説き明かす。
書評
色褪せない、迫力ある語りかけ
山北宣久
召天せられ三六年になる榎本保郎牧師の復刻本が刊行された。「彼は死にましたが、信仰によってまだ語っています」(ヘブライ一一章四節)そのものの内容である。
本書は一九七〇年四月より一年間『信徒の友』誌に連載されたものが一冊に纏められたものであり、「あとがき」の日付には「一九七二年五月五日(誕生日に)」とある。ということは四七歳、召天五年前の著述であるのだが改めて夭折が惜しまれる。
一年間の連載であるゆえに「教会づくり」は一二回から成り立つ。「だれが教会をつくるのか」「聖霊体験について」「教会づくりのコツ」「説教の秘密は何か」「なくてならぬものは何か」「交わりにあずかる」「地域社会における教会」「わたしたちの献げもの」「教会が無気力なのはなぜか」「保育園、幼稚園は教会のわざか」「世の光こそ教会の本質」「岩の上に建つ教会」がその項目となる。
これら一つ一つのタイトルで一冊の本が書けただろうが、師はまさに「入門」にとどめた。それはこれを読む者が、この入門書をもとに各々に実践編をものにして欲しいという願いがあったものとも受け取られる。しかし、この「入門」はコンパクトであるとともに内容が濃い。そしてこの一二編を裏打ちすべく「祈りの生活」「礼拝の心得」が付けられている。
四〇年以上の時を経ても全く色褪せないばかりか、教会づくりの現実に鋭く切り込んでくる迫力を有するのは「きのうも今日も、また永遠に変わることのない方」(ヘブライ一三章八節)に堅く根差しているからに他ならない。
教会修養会や研修会、懇談会等のテキストに用いられるならば、具体的な示唆、刺激、激励を与えられるだろう。診断書と処方箋となる本書を、教会、これを支える信徒に勧める。
幾つかの言葉を紹介すれば、その裏付けとなろう。
「教会づくりということは信者をつくるだけではない。」(二七頁)
「愛は常に相手のために破れること......そして十字架のあとに復活があったように、破れることにおいて新生するところに教会の姿がある......わたしたちはあまりにも破れることを恐れやすい。」(二九頁)
「みことばへの聴従という信仰、聖霊を待ち望むという希望、そして信仰によって働く愛というこの三つの柱こそ、教会づくりの根幹ではないでしょうか。」(二九―三〇頁)
「今語りかけたもうみことばに対して、どこまでも聞きいっていく人びとによって、主を待つ教会は形成せられていく。」(四五頁)
「互いに祈り合うこと、来たりたもう主に向かって生きること、そして主を喜ぶこと、この三つがわたしたちの教会づくりに対して与えられているつとめである。」(五四頁)
「今日の世は涙を流してくれるものを期待していません。死に勝つ勝利がほしいのです。」(六二頁)
「主の強制に服したものだけが、嵐の中でイエスを神の子と告白することがゆるされた......教会づくりはこの一事に尽きる。」(一〇二頁)
ビンビン心に響き、グングン魂に迫ってくるではないか。一九七〇年の連載と言えば教会は嵐の只中にあった。
「教会は『戦争責任告白』や『反万博』に端を発した運動を謙虚に受けとめ、そこで問いたもう主に向かってみずからを再検討し、み旨の示すところに向かって大胆に行動していかねばならぬと思います」(一四九頁)といわゆる問題提起に理解を示している。
しかし「教会解体」の不当性、激しい造反運動の限界をはっきり語りつつ「集められた教会」「散らされた教会」という命題のもとにこの悩める問題を取り扱っている。
このことにもその時代の現実に深くコミットしながら、福音の普遍性を示す深さ、広さがあらわれている。
本書の魅力は著者自らが「教会づくり」に苦闘し、時に挫折を味わい、時に喜びを与えられた生生しさにもある。その経験にあって豊富な例話、何よりも適確なみことばの引用が生きてくるのだ。
(やまきた・のぶひさ=青山学院院長)
『本のひろば』(2013年12月号)より