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内容詳細
紀元後 50縲鰀150 年頃の筆とされる、旧約聖書偽典の一書。旧約聖書の内容を要約・敷衍しながら、アダムからサウル王の死までの歴史を記述する。正典のマソラ本文とは異なる伝承を伝え、新約聖書の文言との並行箇所も多い、当時のユダヤ教の神学・思想を知るための貴重な重要文献。ラテン語本文からの本邦初訳!
書評
新約理解の上でも重要な旧約偽典の一書
保坂高殿
本書は、アダム誕生からサウル王の死に至るまでの聖書本文について、系譜と物語を、時に異伝承をも織り混ぜ聖書を補完しつつ一巻に要約して綴った文書である。したがって、叙述全体の外面的形式という点では『歴代誌』やヨセフス『ユダヤ古代誌』に類似するが、聖書物語に対する独自の素材、解釈、敷衍を織り混ぜた点では、「小創世記」と呼ばれる『ヨベル書』やクムラン文書中の『外典創世記』に類似し、その意味でミドラシュ・ハガダーの文学類型に属し、旧約偽典に分類され得る。
現存するのはアルケトュポスに遡る二一のラテン語写本と一五二七年のシカルドゥスによるラテン語初版本だけだが、セム語からの不適切な訳と解釈しない限り説明困難な箇所が数カ所あることから、ヘブル語原語説は今日ほぼ定説化している。また、一五六六年シスト・ダ・シエナがギリシア語の一節を引用していることから、ヘブル語原本は一度、成立後早い時期にパレスティナ地域のユダヤ人のためにギリシア語訳され(後に散逸)、それが四世紀にキリスト教徒の手でラテン語に重訳されたと推定される。四世紀末以降は会堂から教会への改宗者が増大してユダヤ教文書がラテン語に翻訳される素地が整っていた。ウルガタの他、ギリシア語の『教会史』や教父文書のラテン語訳が数多く公刊されたのもこの時期であった。
成立年代については、一世紀成立説が今日の主流だが、これにはさらに七〇年以前説と以降説の二説が並存する。後者は主に「第四の月の一七日」(一九・七)が七〇年の大惨事を、また、「今日に至るまで」(二二・八)が神殿の不在を暗示する点に依拠するが、前者はこれを認めず、七十人訳を想起させる古い文体の他、本書のような聖書本文の〝改訂版〟は七〇年以降類例を見ないことを強調する。両説ともに決定打はない。しかし、本書には殉教思想が色濃く反映し、かつ、背教誘導を目的とした猶予期間の付与(六・六「七日」)はローマ属州当局が被告信徒に熟慮機会を提供し始めた二世紀中葉の状況を窺わせるため、評者はジェイコブソンの二世紀成立説を支持したい。
聖書本文に比しての内容的特徴としては、特に新約理解の上で重要と思われるものに、福音書イエス生誕物語の伝承形成への寄与(九章のモーセ生誕物語)の他、動物犠牲(二二章)から人間犠牲への重点移行(一八章、三二章、四〇章のイサク)がある。タルグムにも言及されるアブラハムの炉中投棄はダニエルおよび三人の若者(教会および第四マカベア書にとって旧約殉教者のプロトタイプ)を想起させ、イサクも自己犠牲を厭わぬ敬神者の方向に脚色されているように、聖書では専らアブラハムの信仰の真正性に重点があったのに対し、本書ではアブラハム父子が共々プロト殉教者へと変容し、第四マカベア書の殉教七人兄弟への賛辞に通じている。
本書は、メシア思想こそ希薄であるもののキリスト信仰の宗教史的背景の解明にとって重要な文書である。献身性(忠実さ)と贖罪はユダヤ思想圏にあっては元来別個に存在していた表象であったが、それが徐々に相互接近し、一世紀に至り合流したのだろう。新約では、神への忠実さを称えたフィリピ書二章のキリスト賛歌と人間(イエス)贖罪の思想とが並存する。二世紀以降のキリスト教殉教思想においても前者は殉教概念の主観的側面を、後者は客観的側面を構成する。
邦訳について一言すれば、訳者井阪民子氏(土岐氏が執筆した「あとがき」による)の訳文の正確さ、簡明な文体、そして、訳文とほぼ同じページ数を費やして書かれた「訳註」での、異読についての周到な検討が際立っており、翻訳本としての質的水準は高い。「解説」部冒頭の内容紹介も目次に代わって鳥瞰図的な役割を果しており、読者の要望に配慮されている。ただ、残念なのは、一九九〇年に同じ教文館から出版された『殉教者行伝』には訳者土岐氏により詳細な語句索引が収録されたのに対し、本書にはそれがないことである。非常に惜しまれる。最後に、巻末「参考文献」から漏れてしまった一読の価値ある論考を一編だけ紹介しておきたい。土岐健治「新約聖書研究覚書」『一橋論叢』一〇六巻第三号(一九九一年)三二―三七頁。
(ほさか・たかや=千葉大学文学部教授)
『本のひろば』(2013年3月号)より