ベスト👍 フィクション
『死の森の犬たち』(STAMP BOOKS)
アンソニー・マゴーワン 作
尾崎 愛子 訳
岩波書店 刊
2024年3月22日 発行
定価2,200円(税込)
318ページ
対象:中学生以上
チェルノブイリ原発事故によって引き裂かれた、少女と犬ーーその強い絆の物語
大地を蹴る力強い足音がする。規則正しいハッハッという熱い吐息。森の中で、白波が立つように風をうけて流れる毛並み。
足音の主は片方が茶色、もう片方が青い目をした大きな犬だ。物語の主人公、ミーシャである。
ミーシャはゾーヤと呼ばれる混血種のサモエドから生まれた。母親のゾーヤは子犬だった頃に、この物語のもうひとりの主人公である少女ナターシャの7歳の誕生日プレゼントとして彼女の両親から贈られた。
しかし、ナターシャとゾーヤとの幸福な日々は続かなかった。なぜなら、誕生日の晩、世界を揺るがす大事故が起きたからだ。1986年4月26日、旧ソビエト連邦ウクライナ共和国のプリピャチのチェルノブイリ原子力発電所で発生した爆発。原子炉から放出された高レベルの放射性物質はあらゆる生きものの生命を狂わせた。近郊の人々は移住を余儀なくされたが、しかし、ペットや家畜を連れて行くことは許されなかった。こうしてナターシャは、無垢なこの子犬と離れ離れになってしまった。
頼るもののない世界を、ゾーヤは、そしてその子どものミーシャはどのように生き延びたのか。ゾーヤたちのなかに眠る野生の血が狩猟と防衛本能を目覚めさせるとき、冒険の物語が大きく動き出すーー。
チェルノブイリ原発事故という歴史的事実を背景に、少女と飼い犬との喜憂な運命を描いた手に汗握るストーリー。犬の視点と少女の視点が絡まり合うなか、ゾーヤとミーシャ、ミーシャと仲間たち、そしてナターシャとの絆の深まりが感じられる一方、もうひとつの主題である「いのち」の輝きに光が当たるように編まれた構成は巧みである。それは、断片的な事象を時間軸を歪めて無理矢理継ぎ接ぎするような小手先の手法ではなく、時間はどんな生きものの上にも等しく流れることを前提に、別々の場所にいる彼らがそれぞれに試練を乗り越えて成長していく様子を重層的に綴っているからだ。
何よりすばらしいのは野生に放り出された犬たちの「生」へのひたむきさが、おもしろおかしく擬人化されすぎていないところだ。しなやかな体躯のサルーキ、威風堂々としたコーカシアンシェパード、真っ白で美しいサモエド。登場する犬種の予備知識などなくても大丈夫。要所にドラマを用意しつつ、動物の生態や習性をつぶさに観察したことが伺える描写や、深い森をはじめとした触知しうる空気のようなものを強く書ききる筆致に読者はたっぷりとした満足感を覚える。
作者のアンソニー・マゴーワンは『荒野にヒバリをさがして』で2020年にカーネギー賞を受賞したイギリスの作家である。幼い兄弟の心の機微を描いた初期の作品からいっそう昇華した本作は、読み応えのある作品を探している人はもちろんのこと、「ドクター・ヘリオット」や「シートン動物記」シリーズが好きな人、フィクションが得意ではない人にもぜひ手に取ってほしい。
戦争の終着が見えないウクライナの大地で、事情は違えど、ナターシャやゾーヤのように暮らしを引き裂かれた家族が、今もどれほどいるだろう。悲痛な叫びがこれ以上生まれることがないよう祈っている。 (い)
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