クリーンヒット⚾ 伝記
『荻野吟子とジェンダー平等』 日本の伝記・知のパイオニアシリーズ
堺正一 著
玉川大学出版部 刊
2022年10月 発行
定価2750円(税込)
174ページ
対象:小学校高学年から

かたい信念のもと、苦しむ人々に寄り添い続けた荻野吟子の生涯

江戸時代末期、黒船来航の2年ほど前に荻野吟子は代々名主を務めた農家の5女として生まれました。「女に学問は不要」という当時としては珍しく、少女時代は好きな学問をさせてもらいましたが、学業途中の17歳で嫁ぐことになり、その後まもなく夫から性病をうつされ2年後に離婚。病気治療のために東京で入院生活を送りますが、その折の経験から「女の病には女医が必要」と医師を志しました。当時はまだ医者は男の職業とされており、女性が医師になる道も開かれてはいませんでした。しかし吟子は、男の医者にかかることをためらうがゆえに病を重くしてしまう女性を救いたいという強い信念で、遠回りとも思える道筋を辿りながら学問を続け、医学校入学や医術開業試験(現在の医師国家試験)の扉を開いてゆき、医師を志してから14年目にして日本初の女性医師となります。荻野吟子34歳の年でした。

吟子が医師となったのは女性の命を救うためでしたが、病を治すだけでは女性は救われないと気づき、次第に男性中心社会で女性たちの地位向上を目指して戦うようになります。「三従の教え(幼い時は両親に従い、嫁に行ったら夫に従い、老いたら子に従え)」に代表される女性を縛る様々な社会の決まりから女性を解放し、男女平等の社会を築くためのたゆみない努力を続けた吟子は、大正2年(1913年)に62歳で亡くなりました。

昔に比べてずいぶん女性が活躍できる社会にはなりましたが、荻野吟子の目指した理想の男女平等社会はまだ道半ば――このあと本物の“ジェンダー平等社会”を作っていくのは私たちの役目です。(か)

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