ベスト👍 ノンフィクション
『朝のあかり』
石垣りん 著
中央公論新社 刊
2023年2月25日 発行
定価990円(税込)
320ページ
対象:大人
「自由」とはなんであるのかーー
好きな詩人が3人いる。ジャック・プレヴェール、長田弘、そして石垣りん。いずれの人もこの世を去っているので直に話を聞く機会は得られないが、彼らの遺したことばには何度でも触れることができる。
中でも「表札」の詩で知られる石垣りんは、随筆がまたすばらしい。心を落ち着けて読書をしたいとき、自分に自信がなくなったり迷ったりしたときに本を開くことが多い詩人だが、すきな作品が単行本から形を変えて再登場とあれば読まずにおれない。よしんばその本の内容を知っていたとしても、初めて出合うかのような高揚感で表紙をめくる感覚は本好きにはあるあるだろう。
新刊『朝のあかり』は、『ユーモアの鎖国』『焔に手をかざして』『夜の太鼓』(いずれも品切れ)を底本として作品を選定し、再編集した文庫オリジナル版である。
東京・丸の内の銀行に戦前から戦後も退職するまで30年ほど勤めあげた石垣りんは、現代より遥かに就職難で、かつ女性の地位が著しく低かった時代に臆することなく凛とした姿勢でことばを紡いだ。高等小学校を出た14歳の少女が、自分の稼いだお金で自由に本を買い、ものを書きたいから進学をやめて就職を選ぶという決意がどれほど強いものであったかーー。それほどの意志でなければ、あの明晰な文章は生まれないのかもしれない。
本書は働くこと、暮らすこと、詩を書くことについての内容がメインだが、とりわけ働くことに対する彼女の思考には胸が締め付けられる箇所が多くある。石垣は言う。「学歴で、財産で、家柄で、人はみくびりあうことが多い。不幸なことに、それらを持ち合わせない人によっても、他社へのものさしとなっている。労働者としての四十年間、私はそのことを身にしみて味わった。」
子どもが働きに出なければならないほど生活に窮していた家庭ではなかったが、幼くして実の母を、その後も次々と母親と呼べる人を失くしながら踏み込んだ社会で彼女を待ち受けていた現実は、ことばで語る以上に厳しく、孤独なものだったに違いない。そんな彼女が、初めての月給を受け取ったとき、唇から笑いがこぼれてしまってとても恥ずかしかったと述べていて、少女らしい素直な喜びといじらしさが読んでいてことさら涙を誘った。
しかし石垣は続ける。「いま思えば、この時、私と同じようにお金も笑いこぼれていなければならないのでした。なぜなら、私はこのお金で自由が得られると考えたのですが、お金を得るために渡す自由の分量を、知らずにいたのですから。」
人は、労働の対価として報酬を得る。その報酬のために、たった一度の人生のうちの、さてどれほどの自由を明け渡しているのだろうか。ふと突きつけられた事実と削られたあるいは削られていく自由の分量を私もまた想像し、そもそも自由とはなんであるかを考えはじめた。 (い)
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