クリーンヒット ⚾ フィクション
『アドニスの声が聞こえる』
フィル・アール 作
杉田七重 訳
小学館 刊
2024年4月 発行
399ページ
1980円(税込)
対象:小学校高学年から

動物園に残されたゴリラと怒れる少年、それぞれの孤独の中で二人の心が通じる時―-

第二次世界大戦下のイギリス・ロンドン。12歳の少年ジョーゼフ・パーマーは田舎の祖母の家から、見知らぬ婦人―ロンドンで動物園を営むミセスFのところへ送られた。母親は彼が4歳の時に家を出、父親は戦争に行ってしまい、祖母からも厄介者扱いされたジョーゼフは心に大きな孤独と怒りを抱えていて、それゆえに常にけんか腰で不機嫌で、たびたび問題を起こしていた。
ミセスFの動物園では戦争が始まってからほとんどの動物が疎開、もしくは殺処分させられ、残っているのはオオカミやラクダ、鳥などほんのわずかの動物だけだった。ジョーゼフはそこで生まれて初めてオスのゴリラ・アドニスと出会う。家族を失い孤独のうちに生きるアドニスと、彼を愛し守ろうとするミセスF--しかし空襲の夜、アドニスの檻の前でライフルを構えるミセスFの姿を見たジョーゼフは混乱する。彼女はいったい何をしようとしていたのか?

家族から捨てられたと感じているジョーゼフは、赤の他人で自分を引き受けてくれたミセスFに感謝するどころか、彼女の気持ちを逆なでするような言動をして厄介払いされることを望んでいるようにふるまいます。それは愛された記憶を持たない彼が常に自分の境遇に腹を立て、負の感情に心が埋め尽くされているからです。しかし、学校でのいじめや暴力的な校長の存在がある一方で、担任の教師や、空襲で両親を亡くした少女シドが彼を助け寄り添おうとします。彼が誰にも言えずに抱えてきた「読もうとする文字があちこちに動き回って見える」という障害をシドやミセスFに告白し、また動物園でアドニスとの時間を過ごす中で、ジョーゼフは少しずつ人間らしい感情と他人への愛を取り戻していくのです。何より彼の心を変えたのは物言わぬ獣であるはずの、アドニスの存在でした。物語の結末はあまりにも悲しく、戦争によってすべての命が軽んじられることに対して怒りと絶望を感じざるを得ません。しかしそのむごい出来事を越えてジョーゼフが見出したものにほんのわずかな安堵を得、その先に小さな希望があることを信じたくなりました。(か)

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